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霊場参拝
河内三十三ヶ所 河内西国観音霊場
第23番
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浄翁山玄清寺 所在地:東大阪市東山町
最寄駅:近鉄奈良線「額田」下車、西へ約約500M
当山の縁起は1597年(慶長2年)額田村の高内正貞聖誉上人を招き開山したと言われる。
山号の浄翁山玄清寺は高内正貞が浄翁玄清居士と称したところから名付けられた。
 正貞は織田信長に従い大坂石山本願寺との戦いに参加したが、その戦没者の霊を弔うために、この寺を建立し、高内氏の菩提寺とした。また、1583年(天正11年)に正貞は、前関白近衛前久の枚岡神社参詣に際し、案内役をつとめている。(このとき近衛前久が不動寺で詠んだ歌の碑慈雲尊者の揮毫により建てられ、現在もその跡地に残っている)
 延宝年間(1673〜80年)に教誉上人が中興し、1717年(享保2年)寂誉上人のとき、高内の人々が施主となり上棟されたことが記された棟札が残されている。このように、第22番札所額田寺や長尾・不動寺などと共にこの辺りの寺院の創建には、この地の名族高内一族が深くかかわっており、当寺の墓地には高内正貞を始め高内一族の墓碑が多くある。

[参考資料] 『現地説明版』 東大阪市
         『河内西国巡礼』 河内西国霊場会編 
玄清寺山門 近鉄「額田駅」から、坂道を5分ほど歩くと右手に山門が
見える。
現在の本堂は1971年(昭和47年)の建立。
本尊の阿弥陀仏如来を安置する。
玄清寺本堂
玄清寺観音堂 玄清寺聖観音像
1736年(元文元年)に建てられた観音堂(左の写真)には、本尊の聖観音像(右の写真の中央)の脇侍として、地蔵尊像(右端)と共に南無仏太子像(聖徳太子2歳像:左端)が、安置されている。
現地の案内板によると南無仏太子像は『檜材の寄木造で、前後矧の太子像で彫法的にも優れたものであり、室町時代の作と推定される。』とあり、東大阪市指定有形文化財となっている。
ご朱印
河内33ヶ所霊場
玄清寺朱印
[2004年12月25日参拝]

寺院-096/TTL-326

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