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所在地:箕面市粟生外院2丁目
最寄駅:阪急千里線「北千里」から、「粟生団地」行き、「外院の里」下車、北西へ約500M |
当山の開創は寺伝によれば、613年(推古天皇21年)聖徳太子によるという。その由来は聖徳太子が四天王寺を造営するに際し、その材料をこの地に求めたときに、太子の夢の中に神々を供に現れた帝釈天王のお告げにより、太子自ら帝釈天王像を一刀三礼で刻し、安置したと伝わる。
『三代実録』の元慶4年12月4日条(880年)に見える清和天皇の諸山巡歴の記事に天皇が勝尾寺を訪れ、その折に当寺も訪れている。
この時、勝尾寺を弥勒浄土都率の内院に比し、当寺を外院に擬して「宝生山三天寺」と勅号を下したと伝える。現在の寺名に変わった経緯はつまびらかでないが、1649年(慶安2年)勝尾寺第92世秀栄が中興した。
なお、この付近の地名の「外院」は清和天皇より勅があった「外院」に由来していると思われる。 |
[参考資料] 『日本歴史地名体系(大阪府編)』 平凡社
『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』 古寺顕彰会発行 |
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山門のところで、熱心に絵筆を動かしていた人を見かけた。 |
本堂には、上記『摂津国八十八ヶ所霊場案内記』によると、帝釈天王像は聖徳太子自作、毘沙門天2体は弘法大師自作の計三天を安置しているとあったが、
山門の横の箕面教育委員会建てたの解説板には、帝釈天王像は室町時代以前の作、毘沙門天は鎌倉時代の優品であるとしており、制作年代は少し新しい物のようである。 |
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本堂の前に植えられている桜。 |
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境内にある「帝釈天降臨松の碑」。1960年(昭和35年)まではここに樹齢1200年の松の大木があり、帝釈天王が多くの神々を連れて降りるとの伝えがあったが、老化と度重なる落雷のため、新しい松に植替えられた。 |
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お寺の塀の外にも大きく枝を伸ばしているしだれ桜が満開であった。、 |
境内にあるヤマモモの大木、実はつけないそうだ。
箕面市の保護樹木に指定されている。 |
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摂津八十八ヶ所霊場 |
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[2005年4月14日参拝]] |
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