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霊場参拝
河内三十三ヶ所 河内西国観音霊場
第7番
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護法山壺井寺 所在地:柏原市法善寺1丁目
最寄駅:近鉄大阪線「法善寺」下車、西へ約200m
壺井寺は平安時代この地にあった法禅寺の1院であったが、天授年間(1375〜81年)の兵乱のため法禅寺の堂塔が焼失し、その後再建されたのが当山と伝わるのが詳細は不明(地名の法善寺はかって
この地に法禅寺という寺院があったことの名残と思われる)。
 本山である大念仏寺に伝わる1677年(延宝5年)の文書「大念仏寺四十五代記録并末寺帳」には、
1617年(元和3年)に道念が創建したとある。当初は浄福寺と称していたが、境内の壺井観音堂があったため、寺名を改めたという。
  この観音堂の本尊の銅造菩薩立像(大阪府指定文化財)は別名を「避雷観音」といい、かってあった法禅寺の境内に、きれいな水が湧き出るつぼ形の井戸があり、この井戸の上に祀られていた観音像と伝わる。
 法禅寺が焼け落ちた後、何故かこのあたりは雷がよく落ちるようになり、困った里人が、観音にお願いしたところ、観音はその願いを聞き入れ、落ちてきた雷をこの井戸に封じ込めてしまった。
観音に諭され、改心した雷は、2度とこの里には落ちないことを約束し、井戸から出してもらい天に帰った
という。それ以来、里人はこの観音を「避雷観音」とも呼ぶようになったとのことである。 

 
[参考資料]  『避雷観音』 壺井寺パンフレット
          『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社
壺井寺山門 壺井寺は集落の中に融け込むようにあった。
本堂は1887年(明治20年)の再建。
本堂は松原市にあった永興寺の本堂を移築した。

永興寺は明治初年の廃仏毀釈で1873年(明治6年)に廃寺となっている。

壺井寺境内
 境内に置かれている鴟尾
 かっては本堂の屋根に鎮
 座していた物と思われる。
 「元禄11年6月上旬、
 泉州大鳥郡湊村住 山川
 八兵衛作之」の銘がある。
壺井寺本堂
殉国志士の墓 壷井寺観音堂
観音堂には「避雷観音」と呼ばれる銅像菩薩立像が安置されている。柏原教育委員会の解説板によると、高さ19.9cm、全体に羅災した痕が見られ、鍍金は失われているとのことである。
境内に建てられていた「殉国志士の墓」。
聞けば、先の大戦で戦死したこの村の出身者の合同墓とのことで、54名の氏名が刻まれていた。
ご朱印
河内33ヶ所霊場
壺井寺朱印
[2005年6月1日参拝]

寺院-136/TTL-392

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