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霊場参拝
和泉三十三ヶ所 和泉三十三ヶ所
第14番
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明王山 往生院 所在地:泉南市信達牧野
最寄駅:JR阪和線「和泉砂川」下車、西へ約500M。
当山の開創は679年(白鳳8年)天武天皇の勅命により、法相宗の開祖である道昭によって鎮護国家の道場として建立された。
創建当時は5丁四方の広大な境内を持ち、飛鳥寺(元興寺)様式の伽藍配置で、信達を寺領としていた。
 1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来攻めの際、伽藍をほとんど焼失。文禄の太閤検地で、境内は400坪になり、浄土宗に改宗されたが、1691年(元禄4年)に真言宗に戻り、今日に至っている。
 当山は祈祷寺として信仰をあつめており、境内には当地の鎮守も祀られている。神仏習合が現在でもこの地域では脈々と生きている。

[参考資料] 『由緒』 現地説明碑(大阪教育大学名誉教授 文学博士 芝野正太郎記)
         『泉州 和泉西国三十三所めぐり 観音さま』 和泉西国会発行
往生院山門 往生院由緒碑
往生院山門。
旧熊野街道(府道64号線)に面して建つ。
門前に建つ「往生院由緒」碑。
撰文は蟻通神社と同じ大阪教育大学名誉教授文学博士 芝野正太郎氏による。
往生院本堂。
本尊の大日如来、室町時代の作の阿弥陀仏像を安置する。
往生院本堂
往生院観音堂 観音堂。
平安時代初期の作と伝わる十一面観世音菩薩を祀る。
大日覚王権現 境内に建つ石標
観音堂に隣接して、比較的大きな鳥居が在り、祀られている神の名を聞けば「大日覚王権現」とか言われたが、聞き間違いかも知れない。大日如来が化身した神と思われる。 境内を入った所にある石塔。
背の高い方には寺への寄進した土地であろうか「田一反四畝弐拾七歩」と共に施主の名が刻まれている。
低い方の「不許葷酒入界内」の碑には「正徳四年(1714年)」の日付がある。
ご朱印
和泉三十三ヶ所観音霊場
往生院朱印
[2007年4月10日参拝]

寺院-199/TTL-545

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