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所在地:枚方市長尾宮前2丁目
最寄駅:JR学研都市線「長尾」下車、駅のホームの南側にあり、
北側出口から駅前通りを左に、泉州銀行の角を曲がり踏切を渡る。 |
当山の由緒書によると、初代大坂町奉行で当地の領主であった久貝正俊(くがいまさとし)追善供養のため、1649年(慶安2年)に子息の正世が創建したという。
慶安2年に没した正俊の遺言により田口村の善福寺を当地に移し、本尊と十三重塔は同家知行地であった讃良郡中野村(現四條畷市)の正法寺より移したと伝える。
正俊寺は徳川将軍家と久貝家代々の位牌を祀るため、長尾村新田のうち、36石5斗4升7合を付け置かれた。
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[参考資料] 『現地説明板』 枚方市教育委員会
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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正俊寺山門。 |
正俊寺本堂。
旧中野村の正法寺より移されたという本尊の釈迦如来坐像は鎌倉時代の作と伝える。俗に黒仏と呼ばれる。 |
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正俊寺鐘楼。 |
十三重石塔。
この石塔は久貝家の領地であった中野村上郷(現四条畷市)の正法寺から移したと伝わる。
嘉禄2年(1226年)の紀年銘があり、高さ3.6mの立派な石塔である。大阪府の有形文化財の指定を受けている。 |
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久貝家墓所。
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久貝家歴代領主の墓。
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歴代住職の墓地の中に建つ細田善兵衛の墓(中央の大きな墓石の墓)。
細田善兵衛は正俊の命で福岡村(長尾村の前身)の再開発尽力し、久貝家長尾陣屋の代官を勤めた。
墓の裏面には「灰となり煙と成て 影もなし 何は無手も南むあみた仏 心あらば この石とうで たまふなよ
せめて*** のこす*** 寛文六丙午暦 二月五日」と刻まれているらしいが、風化が進んでおり、よく確認できなかった。
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