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所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山
最寄駅:近鉄吉野線「吉野」駅からロープウエイに乗換え、
終点「吉野山」駅から徒歩で徒歩約40分
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当山は、寺伝によれば、聖徳太子が椿谷に一宇を建て、椿山寺と称して天下国家の護持寺に備えたと伝わり、これを創建としている。その後、天武天皇が度々御願施物などを寄せたといわれる。
また、一説には、818年(弘仁9年)に弘法大師が大峯入峰の時、当地に滞在し、寺院を建立、常楽山椿山寺と号したとも伝わる。916年(延喜16年)日蔵道賢上人が当山で剃髪し、第二世住職になり中興した。
南北朝時代の1385年(至徳2年)後小松天皇の勅を受け、「竹林院」と改めた。当時は金峯山律寺4院の1つに数えられていたといわれる。
境内の庭園(群芳園)は當麻寺中の坊・香藕園、慈光院庭園と並んで大和三庭園のひとつとなっており、国名勝・史跡に指定されている。
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[参考資料] 『現地説明板:竹林院縁起』 竹林院 |
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この寺院は宿坊も兼ねているので、宿泊客や食事をとる観光客の出入が多くあり、お寺というより、老舗の旅館というイメージの方が強い。 |
護摩堂には本尊不動明王のほか、役行者、蔵王権現、聖徳太子坐像が安置されている。 |
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本堂の後庭は池泉回遊式庭園「群芳園」と呼ばれる。室町時代末頃、竹林院第21世の祐尊が大峯山の姿を移して庭園を築造。1594年(文禄3年)太閤豊臣秀吉の命により千利休が作り、後に細川幽斎によって改修されたといわれる。 |
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西行法師の歌碑。『吉野山 こぞのしをりの道かへて まだ見ぬかたの 花を尋ねむ』 |
参議藤原雅経の歌碑。『みよし野の 山の秋風 さ夜ふけて 古郷さむく 衣うつなり』新古今集に入っている。 |
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役行者霊蹟札所 |
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[2005年5月10日参拝] |
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