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史 跡
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牀菜庵跡 所在地:大阪祖住吉区上住吉2丁目 上住吉西公園内
最寄駅:南海高野線「住吉東」下車、東側出口の前の道(直線ではない)を南へ約300m、左手に踏切がある道を右に曲がる。すぐ右手に公園あり。
室町時代の臨済宗大徳寺派の名僧・一休宗純が晩年、この地に仮居したと伝わる。一休は後小松天皇の落胤と伝えられ、天衣無縫・反骨で終始し、京都・奈良・堺などに移り住んだ。
 一休禅師は1469年(文明元年)応仁の乱の兵火を避けるため、京都を離れ、大和から堺に入り、住吉に居住していた。翌2年、堺の豪商尾和宗臨(大徳寺伽藍再興に尽力した)が、ここに一庵を設けて一休を招請した。 一休はここを雲門庵(雲門寺)と称し、弟子ともども移り住み、文明8年にその隣に牀菜庵(しょうさいあん)を営み、ここで記された『床菜庵法度』が現在に伝わる。
 江戸時代後期に刊行された『摂津名所図会』には、一休禅師と尾和四郎左衛門(宗臨)が話し合う場面が描かれており、説明文には「今、庵室荒廃す」とあり、江戸時代には既に荒廃していたと記されている。
[参考資料]『現地説明板』大阪市教育委員会
「一休牀菜庵跡」碑と説明板 「一休牀菜庵跡」碑
上住吉公園の入り口に建つ、「一休牀菜庵跡」碑と説明板。
『現地説明板』 上住吉公園全景
説明板は小石などがぶつけられたのか相当傷んでいる。 公園といっても、野球などの球技場のイメージ。

史跡-202/TTL-772

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