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史 跡
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句碑(江戸時代の俳人)(1)
所在地:
大念仏寺(小林一茶):大阪市平野区平野上町1丁目
生国魂神社(松本淡々):大阪市天王寺区生玉町
勧成院(中村來耜):東大阪市東豊浦町
寺社めぐりをしている中で、見かけた句碑です。

大念仏寺門前に建つ小林一茶の句碑
小林一茶の句碑
大念仏寺の山門の前にある小林一茶の句碑(平成10年建立)。
1795年(寛政7年)3月27日、一茶はこの寺に参拝し、『春風や 巡礼どもが 練供養』という句を吟じている。一茶が見た練供養とは万部法会ののことで、現在では5月に行われている。

小林一茶:江戸後期の俳人。1763年(宝暦13年)信濃橿原(長野県信濃町)の生まれ、名は弥太郎。15歳で江戸に奉公に出された。方言と俗語を使いこなし、不幸な経験からにじみ出た主観的、個性的な句で有名。
晩年は郷里に戻り、1827年(文政10年)64歳で没した。


生国魂神社境内に建つ松本淡々の句碑

大阪市天王寺区生国魂神社境内には松本淡々の句碑『しののめや 涼しき綿の 花ざかり』がある。


松本淡々:1674年(延宝2年)大阪西横堀に生まれる。幼名熊之助、のち伝七。1670年(元禄13年)頃江戸に出て、不角、其角に俳諧を学んだ。
淡々はその俳諧の質性も優れていたが、商才が抜群で、伝授書を乱発、高額な点料を取り、巨財を蓄え、豪奢な生活を送った異色の俳諧師と言われる。1761年(宝暦11年)88歳で没した。
松本淡々の句碑


歓成院境内に建つ中村來耜の句碑
中村來耜の句碑 東大阪市東豊浦町にある梅龍山歓成院の境内に中村來耜(らいし)の句碑『流るれば 細き音あり 山清水』がある。この句碑は來耜が主催した俳諧堂社中が1825年(文政8年)に建立した。



中村來耜:1754年(宝暦8年)生まれ。本名中村八右衛門。別号は鳳尾館、二斗庵、俳諧堂。
河内・豊浦村の庄屋を務め、和歌、俳諧、華道など諸芸に通じた。1799年(寛政11年)芭蕉没後100回忌の追善供養のため芭蕉の句碑(きくの香碑)を建立し、これを記念し『菊の香』を編んだ。1846年(弘化3年)没した。

史跡-004/TTL-101

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