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所在地:富田林市大字甘南備 「楠妣庵」境内 最寄駅:近鉄長野線「富田林」下車、金剛バス東条線「甘南備」下車すぐ |
楠木正成の夫人は名は久子といい、甘南備の豪族南江備前正忠の妹で、ここ甘南備の矢佐利に生まれた。1323年(元亨3年)20歳で正成と結婚。二人の間に、正行、正時、正儀を始め6人の子がいる。
1336年(延元元年)湊川の合戦で、夫正成を亡くし、1348年(正平3年)四条畷の合戦で長男正行、次男正時を亡くした。
正行、正時兄弟の戦死後は夫人は生まれ故郷の甘南備に隠棲し、名を敗鏡尼と称し、夫正成を始め一族郎党の菩提を弔い、ひっそりと余生を過ごしたといわれる。
没後600年近く経った、先の戦時中は、夫やわが子を亡くしても、ひたすら耐え忍ぶ正成夫人の姿を美徳とし、「日本女性の亀鑑」として語られ、国威発揚の宣伝に使われたのは、当人にとっては大変迷惑なことだったに違いない。
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[参考資料] 『楠妣庵観音寺』 楠妣庵パンフレット |
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夫人は在住16年、1364年(正平19年)61歳で生涯を終わった。
墓所は楠妣庵の境内、生涯をすごした「草庵」のほとりにある。
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墓石は小さな五輪塔である。 |
楠公夫人愛用の井戸と伝わる井戸が、境内の片隅にある。覆屋で囲われており、中は覗き見ることも出来なかったが、現在も清水が沸き出でているとのことである。
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覆屋の入口に「楠妣泉」の額が掛かっている。 |
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楠妣庵門前にある「楠母子像」。1935年(昭和10年)大楠公600年祭に建立されている。 |
山門の手前に建てられている「後醍醐天皇の隠岐より還幸を兵庫にて奉迎せし楠公の像」。
1963年(昭和38年)7月の建立。 |
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