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所在地:富田林市大字甘南備
最寄駅:近鉄長野線「富田林」下車、金剛バス東条線「甘南備」下車すぐ |
当山は「峰篠山 楠妣庵 観音寺」というのが正式で、観音寺の縁起は、楠正行が在世中、後醍醐天皇[1288〜1339年(正応元年〜延元4年)]の崩御後、ここ峰篠山の一角に一殿を建て、同天皇の念持仏であった千手観音を奉安して、「峰篠山観音殿」と称したのに始まる。
1348年(正平3年)正行が四條畷の合戦で討ち死した後、母である楠公夫人久子は、敗鏡尼と称し、生まれ故郷の甘南備に草庵(南妣庵)を結び、正成をはじめ一族郎党の菩提を弔い、寂寥の余生を16年ここで過ごした。敗鏡尼の没後、正行の弟正儀が観音殿を改め観音寺とし、楠一族の菩提寺とした。
その後、同寺は、兵火などの災厄に遭い、楠妣庵とともに久しく廃滅していたが、1917年(大正6年)草庵の再興に続いて1922年(大正11年)観音寺本堂が再建されている。
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[参考資料] 『楠妣庵観音寺』 楠妣庵パンフレット |
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山門は山形県の恵林寺塔頭青松軒のものが、1964年(昭和39年)、大楠公夫人600年祭に移築された。
訪れた当日は「勤労感謝の日」で、日の丸が立てられていた。 |
南門は1991年(平成3年)に新築落成した。
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草庵(楠妣庵)のある高台から、本堂を望む。 |
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正成夫人の念持仏「十一面観音」が祀られている「観音堂」。1917年(大正6年)に鎌倉末期の建築様式に則り建立されたもの。 |
正成夫人が住んでいた「草庵」は「観音堂」と同じくして、復元されている。
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秩父宮お手植えの楠。
高さ30m、幹の周り約4mに成長し、平成4年に富田林市の保存樹木に指定されている。 |
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河内三十三ヶ所観音霊場 |
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[2003年11月23日参拝] |
[2011年1月12日参拝] |
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