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史 跡
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江口君堂 所在地:大阪市東淀川区南江口3丁目
最寄駅:阪急京都線「上新庄」下車、上新庄駅北口より市バス「井高野車庫行き」で「江口君堂前」下車、南江口郵便局を東へ約400M
江口君堂は正式には「宝林山普賢院寂光寺」と号し、江口の君が草創したと伝わる。お寺の由緒によると、江口の君は平資盛(たいらのとももり)の息女で妙といい、平家が没落後、乳母の郷里であった当地に寄寓することになったが、歳月を得て遊女に身を落とすに至った。
 1167年(仁安2年)西行法師が天王寺に参拝の途中、この地を通行中、にわか雨に会い、江口の君に雨宿りの許しを願ったが断られた。法師が歌を詠んだところ、江口の君も詠み返し、ついに歌を楽しみながら一夜を明かしたといわれている(この問答歌は『新古今和歌集』にも所載されている)。
後に、江口の君は光相比丘尼と名を改め、仏門に入り、1205年(元久2年)寂光寺(江口君堂)を創建したと伝えられている。
なお、大東市にある慈眼寺(野崎観音)では江口の君を同寺の中興の祖としており、慈眼寺本堂の隣りには「江口君堂」があるが、お寺の人にこの「江口の君」は同一人物か、どうかを尋ねたところ、「そうだ」とのことであった。
[参考資料] 『由緒』現地説明版 菩賢院寂光寺
江口君普賢院石碑

寂光寺北側の入り口にある「江口君普賢院」の石碑
柵の一部の形をくり抜くようにして建っている。この石碑はかなり古いものらしく、元に位置を動かすことなく、後から柵を作ったものと思われる。


江口君堂石碑
 
 東側の門の傍に建っている「江口君
 堂」の碑。1962年(昭和37年)に
 大阪市が建てている 。
寂光寺本堂  創建当寺の本堂は、元弘・延の乱で焼失。現在の建物は正徳年間(1711〜16年)の再建であるが、1960年(昭和35年)の大改修、1981年(昭和56年)の屋根瓦葺替を得て、現在に至っている。

江口君塚と西行塚  
 境内の一角にある、君塚
 と西行塚。
江口君堂・問答歌碑-1

境内には西行法師と遊女・妙が詠った問答歌の石碑が建っている。正面右側が西行法師の『世の中を厭う間でこそ難からめ 仮の宿を惜しむ君かな』が刻まれている。




江口君堂・問答歌碑-2

 左側には遊女・妙の『世の中を
 厭う人としきけば仮の屋に
 心とむなと思ふばかりぞ』
 
の歌が刻まれている。

史跡-029/TTL-182

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