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文学碑(3) 所在地:
林芙美子の碑:大阪市天王寺区茶臼山町 「天王寺公園内」
谷崎潤一郎の碑:大阪市中央区道修町2丁目 「少彦名神社」
           :大阪市中央区日本橋1丁目 「文楽劇場」前
霊場めぐりの途中で見かけた文学碑パート3です。

林芙美子文学碑
林芙美子文学碑-1
大阪市天王寺区「天王寺公園内」にある林芙美子文学碑。彼女の代表作「めし」の1節が刻まれている
林芙美子は1903年(明治36年)山口県下関町に生
まれる。代表作に「放浪記」、「うず湖」、「晩菊」、「浮雲」など、「めし」を新聞連載中の1951年(昭和26年)6月に急逝。

林芙美子文学碑-2 大きい方の写真は2004年
 4月に撮影。下の部分の植
 込みが補修の最中だった。
 小さいほうは2004年10月
 末に撮影。6ヶ月間殆ど変化
 が無いのは何故だろう。

谷崎純一郎文学碑-1 少彦名神社の谷崎潤一郎文学碑
大阪市中央区道修町にある少彦名神社の入口建てられている谷崎潤一郎文学碑。道修町を舞台にした小説「春琴抄」の冒頭部分の原稿がタイルに焼かれ埋め込まれている。

谷崎潤一郎:1886年(明治19年)東京・日本橋人形町に生まれた。
1911年(明治44年)永井荷風に激賞され、文壇へデビューした。官能美と陰影ある古典美の世界を華麗に描き、文壇の最高峰を歩み続け、数々の賞を獲得している。
代表作に「蓼喰ふ蟲」、「春琴抄」、「細雪」、「少将滋幹の母」など。1949年(昭和24年)文化勲章受賞。
1965年(昭和40年)79歳で死去。
谷崎純一郎文学碑-2
文楽劇場前通りの谷崎潤一郎文学碑

国立文楽劇場の前の通り、(千日前通)に建てられている谷崎潤一郎文学碑
小説『蓼喰ふ蟲』の一説が彫られている。
近鉄、地下鉄「日本橋」を下車し、7号出口を文楽劇場の方向に少し歩いた、歩道の植え込みの中にある。
この石碑は植込みの中に埋没し、これが文学碑であることは分かりにくい。
この文学碑とデザインの近松門左衛門の碑が同じ通りに建てられている。

谷崎潤一郎の文学碑

 作品が彫られている部分は
 茂みの中に隠れてしまって
 いる。

史跡-067/TTL-300

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