大阪再発見の表紙に戻る
神社めぐり
神社めぐり 露 天神社
(お初天神)
ロゴをクリックすれば
一覧表に戻ります
露 天神社へ
近松ゆかりの地へ
お初・徳兵衛の像 所在地:大阪市北区曽根崎2丁目 「露 天神社」境内
最寄駅:地下「梅田」下車、南へ300M
1703年(元禄16年)4月7日、堂島新地天満屋の遊女お初と内本町平野屋の手代徳兵衛が当社「天神の森」にて情死する事件が起こった。これを近松門左衛門がj浄瑠璃「曽根崎心中」として著し、大評判になり、この大当たりで、傾きかけていた竹本座が立ち直ったといわれる。
 今年(2004年)はこの事件から301年にあたり、記念行事として、当社の境内に「お初・徳兵衛」の銅像が建てられ、命の日に合わせ、4月7日に除幕式が盛大に行われた。

お初・徳兵衛像 「お初・徳兵衛の供養塚」の傍に銅像が建てられた。
銅像のモデルは先代の2世鴈治郎扇雀(現3世鴈治郎)の舞台「曽根崎心中」(1953年:今から約50年前)のスチール写真からとられたとのこと。
当日の来賓には3世中村鴈治郎と長男の5世翫雀が招かれた。
中村鴈治郎は上記銅像のモデルとなった1953年(昭和28年)にお初役を初演以来、現在までにお初役を実に1000回以上もこなし、当たり役の1つとなっている。
(1953年初演の時の「曽根崎心中」は250年振りの再演で、当時は大きな話題となったそうである)
お初・徳兵衛像除幕式-1
お初・徳兵衛像除幕式-2 除幕式の前の鴈治郎の挨拶。「成駒屋!」との掛け声がかかった。挨拶のなかで2005年(平成17年)には4世坂田藤十郎を襲名するとの挨拶があった。
江戸時代中期、1774年(安永3年)に亡くなった3世坂田藤十郎から実に231年ぶりの大名跡の復活である。

史跡-035/TTL-214

1つ前に戻る このページの上に戻る 表紙に戻る

Copyrightc2015.Yoshi Planning.All rights reserved. 写真及び文章の無断使用は禁止します。