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史 跡
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観心寺へ
楠木一族の足跡へ
楠木正成首塚 所在地:河内長野市寺元 「観心寺」
最寄駅:南海高野線、近鉄長野線「河内長野駅」下車、
南海バス「小吹台」行きOR「石見川」行きで「観心寺」下車、すぐ
1336年(延元3年)5月25日、湊川の合戦で破れた楠木正成は、弟正季と差し違えて自刃した。
正成の首は一度は六条河原に梟首されるが、その後、足利尊氏の命により観心寺に届けられ首塚として祀られた。

[参考資料] 『観心寺』 観心寺パンフレット
楠木正成首塚 首塚の手前で柵がしてあり、塚の近くまで、近づくことが出来ず、遠くから眺めるのみ。中央の奥まった場所に5輪塔が建てられている。
「建掛塔(たてかけのとう)」(重要文化財)
正成が当寺に報恩のため、3重塔建立を誓願し、建築が始まったが、その途上、湊川の合戦で討ち死のため、1層が出来たのみで、未完となったと伝わる。
何故、正成の子供達が意志を継いで完成しなかったのか、疑問の残るところである。
正成建掛塔
御村上天皇旧跡 境内に残る御村上天皇旧跡「旧惣持院跡」。
ここで1359年(正平14年)の約10ヶ月間行在所となり、政治が執り行われた。
行在所は濠に囲まれているが、池の中の小島のようにに見える。

史跡-064/TTL-299

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