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所在地:河内長野市寺元
最寄駅:南海高野線、近鉄長野線「河内長野駅」下車、
南海バス「小吹台」行きOR「石見川」行きで「観心寺」下車、すぐ |
観心寺は701年(大宝元年)役行者によって開かれ、初め雲心寺と呼ばれていたが、規模、内容など全く不明である。その後、平安時代の初めの808年(大同3年)弘法大師が境内に北斗七星を勧請し、815年(弘仁6年)本尊の如意輪観音を刻み寺号を観心寺と改称した。
弘法大師は当寺を弟子の道興大師実恵に付属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命し、827年(天長4年)弟子の真紹とともに造営工事に着手した。以降、9世紀代には伽藍が整備され、国家安康と厄除の祈願寺として、また、高野山と奈良・京、大坂の中宿として発展し、最盛期には境内に六十坊もの塔頭があり、各地に荘園なども持ち、真言密教の寺院として興隆した。
14世紀に入り、後醍醐天皇は当寺を厚く信任し、建武の親政後(1334年頃)楠木正成を金堂外陣造園の勅を出し、現在の金堂が出来ている。
その後、幾たびか兵火の遭い、最盛期には55坊あった塔頭も現在ではわずか2坊になっている。
幕末の1863年(文久3年)8月、天誅組はここ観心寺に参拝し血盟式を行っている。
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[参考資料] 『観心寺』 観心寺パンフレット 『役行者霊蹟札所巡礼』 役行者霊蹟札所会編 (株)朱鷺書房 |
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国道310号線に面した山門。
山門から下の写真の金堂までのアプローチは、1直線で9つも区切ってある階段を上って行くと、たどり着く。 |
金堂は大阪府下最古の国宝建造物。
室町初期に建造され、豊臣秀頼の時に修理されたのを始め、江戸時代の中期、明治の初め、昭和の初めと度々修理を行っている。
最近では1984年(昭和59年)に昭和の大修理を行い落慶を見た。
本尊の如意輪観音も国宝である。 |
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国の重要文化財である鎮守堂(訶梨帝母天堂)。
後村上天皇により、再興。楠正行が監督したと伝わる。 |
開山堂(本願堂)。江戸中期の建立で大阪府指定の文化財となっている。 |
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新西国33ヵ所霊場 |
役行者霊蹟札所 |
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[2004年10月11日参拝] |
[2004年10月11日参拝] |
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