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史 跡
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[更新記録]
・09/03/01
新しく出来た百済門の写真を追加
王仁博士の墓(2)へ
王仁博士の墓(1) 所在地:枚方市藤阪東町2丁目
最寄駅:JR学研都市線「長尾」駅下車、大阪国際大学の方向へ
徒歩約800m
8世紀に編纂された『古事記』・『日本書紀』によると4世紀末に朝鮮半島は百済国から王仁博士が論語10巻・千字文1巻を携え渡来し、日本国に漢字と儒教を伝えたと記され、古代より学問の祖として崇められてきた。枚方市内にこの王仁博士の墓と伝わる場所が存在する。
 我国で儒教が最も盛んだった江戸時代中期、京都の儒者並川誠所が、1731年(享保16年)に現・枚方市禁野にある和田寺の記録から藤阪山中の歯痛に霊験のある 「オニ塚」の自然石が王仁博士の墓であるとし、領主の久貝氏に進言し、墓所として整備した。現在は大阪府の史跡として整備されている。
 この並川誠所は、阿倍野区にある北畠顕家の墓も比定した人物であるが、どちらの墓も 殆ど確証がない塚を歴史上の有名人の墓とし、それを世間に認知させた事は、政治的な手腕に長けた人物だったようである。
 この枚方とは別に、かっては王仁博士の墓が存在したという場所が大阪市北区大淀中町にあり、その跡地の神社には由緒を記した碑が建てられている。

[参考資料] 『大阪府史跡 伝王仁墓』 王仁塚の環境を守る会パンフレット
         『現地解説板』 枚方市教育委員会
王仁博士の墓入口 平成18年10月完成した百済門
伝王仁博士の墓が建立されている墓域はきれいに整備されている。墓は右手の奥の林の中にある。
上記写真の右手の刈り込まれた無窮花の木のところに新しい門が出来上がった。
日韓両国の友好団体など寄付(総費用2000万円のうち、1300万円が韓国よりの寄贈)により、2006年(平成18年)10月完成した百済門。
ここまで来ると、単なる伝承が歴史の事実として捉えられており、「歴史は作られる」過程が目の当たりにし、驚かされる。
百済門を正面から見る 韓国より寄贈の植樹
百済門を正面から見る。韓国の宮大工が来日、韓国の材料を使用して、建てた高さ5m、幅4mの本格的な朝鮮式建造物という。 敷地内には、韓国より寄贈の植樹が多くある。
うえの写真は韓国首相の金鐘泌氏が1999年(平成11年)に植樹した木。
王仁博士の墓-1 王仁博士の墓-2
王仁博士の墓(左側)と墓石の前の丸い自然石(右側)が昔から村人が祀っていた塚。
『博士王仁之墓』の墓碑は領主久貝氏の建立。
王仁博士の墓-3 善隣友好館
この『博士王仁墳』は王仁博士を顕彰するため、招提村の家村孫右衛門が発起人となり、寄附金を募り、1827年(文政10年)建立。碑文は有栖川宮幟仁の筆による。 1992年(平成4年)に完成した善隣友好館(休憩所)

史跡-108/TTL-429

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