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所在地:
八阪神社:大阪市北区大淀中3丁目
素盞烏尊神社:大阪市北区大淀南3丁目 |
4世紀末、百済の国より日本に論語と漢字もたらしたと伝わる王仁博士の墓が枚方市内に存在するが、この枚方とは別に王仁博士の墓が存在したという場所が大阪市北区大淀中町にもある。
現在の町名の大淀町に変わるまでは(昭和30年代)は大仁町(だいに)と呼ばれており、この大仁の名は王仁博士にちなむと伝わり、現在八阪神社の在るあたりは字名は「王仁(わに)」という名であったという。
古くは室町時代の1461年(寛正2年)の中島崇禅寺領目録に「大仁村」の名が見られるとのことで、 この頃、この地を開墾中、 地中より石棺の1部が発見された。字名の「王仁」と、石棺が結びついて「王仁博士の墓」との伝承が生まれたものと思われるが、石棺そのものが現在に伝わっておらず、真偽の程は定かでない。
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[参考資料] 『現地説明板&記念碑』
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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大淀中2丁目にある八阪神社の境内には、神社の縁起とここに王仁博士の墓があったとの伝承が刻まれている石碑が2基(下の写真)建てられている。神社の裏手は現在はスーパーになっているが、
この場所にかっては「一本松稲荷大明神」と呼ばれる老松と塚があり、石棺の1部が残っていた。この石棺が王仁博士の墓と伝えられるが、その存在を示すものは、今は何も残っていない。 |
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境内に建つ記念碑。左側の碑文によると12世紀の頃にはこの地は既に「大仁村」と称していたとある。右側の碑文によると、今から約600年前(この碑は1941年(昭和16年)に建てられている)この地を開墾中、地中より一神祀を発見、速素盞烏尊を奉祀したとあり、この神社の起こりとしている。 |
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大淀南3丁目に在る素盞烏尊神社。境内摂社の1つに王仁神社が祀られている(右側)。当社の由緒によると、この王仁神社は明治時代に大仁村の「一本松稲荷大明神」(すなわち王仁博士の墓?)を移したという。王仁博士の墓が本物とすれば、この王仁神社は全国に数ある王仁神社の総本家ということになる。 |