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所在地:大阪市西成区岸里東1丁目
最寄駅:阪堺線「聖天坂」下車、西へ約100m「天下茶屋公園」前 |
近松門左衛門の名作、浄瑠璃『心中天の網島』の主人公である天満の紙屋の主人治兵衛と遊女小春の墓は心中の現場に近い大阪市都島区の「大長寺」にあるが、もう一方の主人公で治兵衛に貞節を尽くした妻のおさんの墓は西成区安養寺にある。
おさんは、夫の一周忌を済ませた後、遺児を実家に預け、剃髪し尼になった。
晩年は現西成区岸里にある安養寺の尼僧として、主に女性達の悩みの相談相手を務め、多くの信者に慕われたという。
心中事件が起きたのは1720年(享保5年)のことだが、おさんは1759年(宝暦9年)に没しており、約40年にわたり、夫の菩提を弔っている。
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[参考資料] 『現地解説板』 安養寺
『大阪人物辞典』 三善貞司編 清文堂出版社 |
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安養寺の山門。
山号は昌芳山。1689年(元禄2年)創建。
本尊に阿弥陀如来をまつる。
山門の傍らに「佐藤魚丸墓所」、「由縁斎貞柳翁手植柳、関取猪名川の墓、紙治おさんの墓 安養寺」の石碑が建つ。
1887年(明治20年)の失火と1945年(昭和20年)空襲で焼失し、現在の堂宇は1959年(昭和34年)の再建。 |
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おさんの墓は保存のため、小さなお堂に納められている。墓石には「白譽知専比丘尼」と刻まれている。
右側の側面には「宝暦九己卯年(1759年)五月二十九日」、左側の側面には「東天下茶屋 安養寺」とある。 |
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安養寺境内にある佐藤魚丸の墓(左側)と猪名川弥右衛門の墓(右側)。
佐藤魚丸は、鯛屋貞柳の流れをくむ狂歌師。通称釘屋藤太兵衛、蝙蝠軒魚丸と号し、寛政から文化年間(1789〜1818年頃)にかけ活躍した。1821年(文政4年)70歳で没した。墓標は剥離している。
猪名川弥右衛門は江戸末期の名力士で徳島出身。1849年(嘉永2年)57歳で没した。 |