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史 跡
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山口重信の墓へ
木村重成の墓 所在地:八尾市幸町 「木村公園」内
最寄駅:近鉄奈良線「若江岩田」下車、近鉄バス「近鉄八尾駅前」行で「若江南」下車、河内街道を南へ、第2寝屋川の橋を渡り東へ、
約100M
木村重成は大坂冬・夏の陣で活躍した大坂方の武将。関白豊臣秀次の臣木村常陸介重茲の子とも言われる。豊臣秀頼に仕え、1614年(慶長19年)大坂冬の陣では11月26日の今福・鴫野の戦いで功を上げ、1615年(元和元年)の夏の陣では5月6日の河内若江の戦いで藤堂高虎井伊直孝の軍と相まみえ、奮戦むなしく戦死した。若干23歳であった。
 重成はこの若江戦いに臨んで、兜に香をたきしめていたということで、徳川家康を感動させたとの話が伝わっている。
 当地にある墓は1765年(明和2年)重成150回忌に当たって、重成を打ち取った彦根藩士安藤重勝の子孫安藤次輝が建立した。

[参考資料] 「現地解説碑』 八尾市」教育委員会
木村重成の墓-1 木村重成の墓-2
木村重成の墓全景。
中央に見えるのが重成の墓。
重成の墓石には「長門守木村重成之墓」と刻まれている。左隣りは山口左馬介(重成の妹婿)の墓。山口左馬介も重成と同日同地で戦死した。
木村公園入口の石碑-1 木村公園入口の石碑-2
公園の入口に建つ大きな石碑。左側に「木村重成公」、右側に「噫(あゝ)忠勇武烈」とあり、側面には昭和14年(1939年)7月吉日、裏面には陸軍中将谷寿夫誌とあった。手前の小さな碑は「此付近木村重成奮戦地」とある。
重成の墓の前に建てられてある八尾市教育委員会の現地の説明用の石碑。八尾市の寺社や史跡の現地の説明は全てこの石碑で統一されている。
重成の墓のある木村公園と川(第2寝屋川)を挟んである、東大阪市若江南墓地の中に山口重信の墓があるが、この墓前には東大阪が建てた説明板がある。
各市の教育委員会で色々と工夫されており、比べて見るのも楽しい。

史跡-126/TTL-532

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