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所在地:寝屋川市打上元町
最寄駅:JR学研都市線「東寝屋川」下車、明光寺より更に山手へ
約300m |
明光寺から山手に300m程行った所にある石宝殿古墳は7世紀中頃の築造と考えられ、北河内で唯一の終末期古墳で、国指定史跡となっている。
古墳の盛土は流失し、石槨が露出しており、花崗岩の底石は長さ約3m、幅1.5mあり、蓋石を受けるための加工が施されている。蓋石は約3m、幅3.3m、高さ1.5mの巨大な花崗岩をくり抜いて墓室としており、墓室の入口には扉石がはめ込まれていた跡が見られ、その前に2個の大石で羨道を作っている。
1801年(享和元年)刊行の『河内名所図会』にはこの石宝殿に関わる話として「近年此側にて、金銅の壺、大サ壱尺余の物を掘出す。‥‥云々」とあり、この古墳の被埋葬者の骨壷か否かは不明だが、金銅壺が1774年(安永3年)に掘出され、明光寺の隣の極楽寺の境内に深く埋め戻したという。
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[参考資料] 『現地案内板』 文化庁、大阪府教育委員会、寝屋川市教育委員会
『日本歴史地名体系』(大阪府の地名編) 平凡社 |
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打上神社の脇を更に50m程登ったところに石宝殿古墳はある。
写真はその上り口。 |
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石槨を前から見たところ。
墓室の前の羨道部分の石は長さ約2m、幅約1.4m |
石槨を横から見たところ。 |
古墳の前に建てられている石標。
石表の高さ約80cm、幅約30cmで、「天岩戸大日如来」と刻まれている。
この碑は1691年(元禄4年)明光寺の承誉上人による建立で、明光寺の山号は「天照山」とあるように、石宝殿古墳は天岩戸であるとの伝承から建てられたとのことである。 |
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