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所在地:(奈良県御所市高天)、大阪府南河内郡千早赤阪村
最寄駅:近鉄長野線「富田林」から金剛バス、OR 南海高野線
「河内長野」から南海バスで「金剛登山口」へ |
金剛山は大阪府を取り巻く山の中では最も高い山であり、大阪を代表する山のイメージが強いが、残念ながらその山頂は奈良県側にある。しかしながら大阪側からの登山客が圧倒的に多く、我等の「大阪の山」であり続けている。
金剛山は古来、「葛城山」若しくは「高天山(たかまやま)」と呼ばれていたとのことである。これは神武天皇が、葛のつるで作った網で土賊を覆い殺したという由来からきているという。
今から約1340年前の665年(天智天皇4年)役の小角(役行者)が16歳の時、この山に登り、霊気を感得、長い修業の後、「金剛山 転法輪寺」を建立、併せて自分の祖先である一言主神を祀るため「葛木神社」を建て、神仏混淆の霊峰とした。
この山が「金剛山」と呼ばれるようになったのはこの転法輪寺の山号を称している。
時代が下って、鎌倉・元弘年間(1331〜3年)楠木正成が後顧の憂いなく赤阪千早に戦陣を張り、わずか500の兵で、5万の関東軍を寄せ付けなかったのは、この転法輪寺の山伏の協力が大きかったといわれている。
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標 高:1125M(奈良県側)
登頂日:2003年11月23日 |
25000分の1地形図名:[五条]
経緯:北緯34度25分9秒、東経135度40分22秒 |
[参考資料] 『史跡 金剛山』 転法輪寺パンフレット |
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富田林市内から金剛山を望む。山中を縦横に走る高圧線が景観を台無しにしているのは残念なことである。
金剛山の勇姿は、かっては大阪市内の中心部からも展望出来たとのことだが、現在では思うべくもない
大阪市中央区上本町西4丁目「東平公園」に薄田泣菫の『金剛山の歌』の碑が建っている。 |
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御所市観光協会が建てた国見城跡に立つ「金剛山頂」を示す標識。眼下に河内平野が広がる。
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「金剛山頂」を示す石碑が葛木神社の本殿前にもある。こちらの方が観光協会の標識より10M以上は高い位置にある。 |
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展望台から泉南方面を望む。非常に天気がよかったため、「関西空港」ががかすんで見えた。
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山頂にある葛木神社は主祭神の「一言主大神」と副祭神は「楠正成」ほか11柱をを祀る。1935年(昭和10年)に復興された。 |
転法輪寺は1868年(明治元年)神仏分離のあおりで廃寺となっていたが、1962年(昭和37年)に復興され,鎌倉様式の本殿が建つ。 |
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葛木神社 |
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転法輪寺 |
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役行者霊蹟札所 |
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[2003年11月23日] |
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[2003年11月23日] |
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