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所在地:
雄岳:奈良県葛城市當麻町
雌岳:大阪府南河内郡太子町、(奈良県葛城市當麻町)
最寄駅:近鉄南大阪線「二上神社口」下車、
山頂までは駅より徒歩約1時間15分 |
二上山は大阪府側からも、奈良県側からもその特徴あるシルエットで知られた山である。二上山は今から約2000万年に大噴火を起こした火山でもあり、その名残としての、サヌカイトや凝灰岩、金剛砂の産出は、石器時代から現代に至るまで、さまざまな形で人々は恩恵を受けてきている。また、大津皇子が非業の死をとげ、ここ二上山に葬られた話はあまりにも有名である。
二上山の山頂を目指すには、いろいろなルートがあるが、今回は二上神社登山口から雄岳〜雌岳を登頂し、下山は祐泉寺〜大龍寺〜石光寺に出るルートを利用した。梅雨明けの猛暑の中、途中度々休憩をとり、昼食時間も入れ約3時間半の行程であった。
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標高 雄岳:517M 雌岳474.1M
登頂日 2004年7月17日 |
25000分の1地形図名:[大和高田]
雄岳:北緯34度31分32秒、東経135度40分39秒
雌岳:北緯34度31分20秒、東経135度40分32秒 |
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シルエットが美しい二上山(奈良県香芝市内より望む)。
2つの山頂の差はわずか46mしかないとは見えない。 |
雄岳山頂近くにある「大津皇子の墓」。
大津皇子の父、天武天皇が亡くなって一ヶ月も経っていない、686年(朱鳥元年)10月2日、皇子は謀反の罪で逮捕され、翌3日死を命じられ、その遺体はここ二上山に葬られた。わずか24歳であった。
この事件は、時の皇后(後の持統天皇)が、自分の子である草壁皇子を皇位につけたいがために、大津皇子抹殺を計画したという説が有力とされている。
この草壁皇子も事件の3年後に28歳で病没している。 |
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雄岳山頂にある「葛木二上神社」。
我々以外は人っ子1人も居ない静かな山頂であった。
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現在の山頂は雑木林でおおわれ、眺望が全く利かない。当日、同行したKさんの話では、30年ほど前は奈良県、大阪府のどちらにも眺望が利いたとのことであった。 |
山頂に建てられてあった万葉歌碑。 |
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『大坂を わが越え来れば 二上に黄葉(もみじば)流れる 時雨ふりつつ』
ここでいう大坂は竹内峠のことを指すと思われる。 |
雌岳山頂には大きな日時計があった。
雄岳の無人状態に対し、雌岳山頂は沢山の人で賑わっていた. |
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雌岳山頂から大阪方面を望む。天気が好すぎて、かすんでる。肉眼では大阪市内の高層ビルが見えたが、写真では殆ど確認できない。 |
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雌岳山頂から奈良・飛鳥面を望む。平野部には大和三山が見える。
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