|
所在地:奈良県葛城市當麻町
最寄駅:近鉄南大阪線「当麻寺」下車、西へ約1Km |
當麻寺は、古代貴族が西方浄土への憧憬から来迎図に描くことの多かった浄土信仰の聖地、二上山の麓にあり、山号を二上山と称し、別名を禅林寺ともいう。真言宗と浄土宗を兼宗する珍しい寺院でもある。
その縁起は、用明天皇の皇子麻呂子(まろこ)が612年(推古天皇20年)に河内の交野郡山田郷に建てた万宝宝蔵院に始まる。その後、681年(天武10年)に麻呂子の孫にあたる當麻国見(たいまのくにみ)が現在地に移し、この地方の豪族當麻氏の氏寺として整備したと伝えられている。
有名な、本尊の當麻曼荼羅図(国宝)は762年(天平宝字6年)に製作されたと伝わるが、非公開である。
現在の本尊・當麻曼荼羅(重要文化財)は1502年(文亀2年)に転写されたもので文亀曼荼羅とよばれている。後世、この天平の曼荼羅は、中将姫の蓮糸曼荼羅という奇跡譚が付加され、民衆信仰をひろげた。
奈良時代に建てられた東西三重塔(いずれも国宝)が創建当時のまま完存し、そのほか重要文化財の指定を受けているいる平安から鎌倉時代の建造物が数多くある。
|
[参考資料] 『當麻寺中之坊ホームページ』など |
|
当麻駅からまっすぐ参道を西へ約15分程歩くと正面に仁王門(東大門)が見えてくる。この當麻寺の南側は山の斜面になっているためか、他の寺院で一般的な南大門はない。 |
正面の建物は曼荼羅堂(本堂:国宝)で、右の建物は講堂、左は金堂(講堂、金堂は重文)。
本堂は2重構造で、内陣は天平時代、祖手を囲む外陣は平安時代の建立。
講堂と金堂はともに、奈良時代以前の白鳳期に建立。その後、火災などに遭い、鎌倉時代に再建されている。 |
|
|
|
東塔の手前の建造物は当麻寺塔頭の「中之坊」。
中之坊は白鳳時代(7世紀末)役行者の創建と伝わる。
本堂は「中将姫剃髪堂」ともいい、中将姫が黒髪を剃り尼僧となったところとされている。 |
国宝の三重塔東塔(左の写真)と西塔。双塔とも創建当時のままの姿を留めるのは日本唯一。相輪の宝輪の数が9つでなく、8つであることも全国でこの双塔のみだそうである。 |
|
|
|
[新西国三十三ヶ所霊場] |
|
|
|
|
|
[2004年7月17日参拝] |
|
|