『塩の道』歩記(8A) 08年6月14日〜15日
『島集落の祇園祭』

※ 塩の道(道標)へ

このコ−ナ−では『塩の道(8)』 周辺の話題などを掲載しています。(今回は佐久間町・島集落の祇園祭に寄り道しました)

明光寺峠の『荷継場』辺り 佐久間町『瀬戸の半鐘』

08年6月14日 『佐久間町』の『島・祇園祭』へ!
『第8ステ−ジ』の起点西渡から明光峠を越えると、瀬戸・間庄・立原の集落が続く。
そしてこのステ-ジ最後の古道の名残を感じる『集落』がここ『島』だ。!
集落の戸数は16戸、国道152号線の上、100m程の山の中腹を走る、林道西渡線沿いにある集落。
ここは岩に残る轍の跡、廃屋、そして苔むした石段状の古道などがあり、往時の塩の道を偲ぶに相応しい場所である。
写真は左が明光峠の『荷継場』、右は瀬戸の半鐘、何れも島集落に通じる西渡線沿いの風景。

集落と幟 軒下の祭り提灯

 三熊野神社(牛頭天王)!
         『第8ステ−ジ』を歩いた時、地元の人に道を尋ねた、それがMさんとの初めての出会いであった。
その時このMさんに、『祭りに来い』と言われた時には、初対面でもあり正直いって驚いた。
6月に入り確認の電話をすると、電話の向こうから『お-来るか、泊っていけよ』の声。
夜祭りを見たいから友人も二人連れて行きたいと言うと快く承知してくれた。
当日、相棒たちは八丁坂登り口から瀬戸付近の『塩の道』を歩き、私は林道を車で行くことにした。
そして瀬戸の集落で歩いてきた二人と合流、ここからは相乗りで島集落へ。
夕方、Mさん宅到着、写真左は集落と三熊野神社の幟、右は軒下に連なる祭り提灯。
           
『吊橋』 『水垢離』

夕暮れの祇園渕! 
    夕暮れ時(6時頃)になると集落の人たちは水窪川の祇園渕に下りて『水垢離』の神事を執り行う。
  『水はめの命より川面を借りて島の里に住む氏子たちの身体を清めさせていただきます』。
  こう神官が唱え、全員右手を水に浸し『ひい、ふう、みい ‥‥』と、百八篇唱える。
  島の祇園祭はまさに水祭りである。(秘境はるか ‥‥ 文章一部引用)
  写真、左のつり橋袂には『島橋』と刻まれていたが、川の少し上に新しい『小休戸橋』出来た。
  今は朽ちて渡れないが、数年前までは小休戸集落への大事な生活の架け橋だったのではないかと思う。
  写真、右は夕方の水垢離風景、氏子全員で川面の水をバシャバシャとやり、手を洗い口をすすぐ。
           
『神楽の舞』 『花火の打ち上げ』

神楽の舞、奉納! 
    『水垢離』を終えた氏子たちは、全員Mさん宅に集まる。
  そしてMさん宅に神様をお迎えする神事が執り行われ、そのあといよいよ『おひまち』だ。
  その『おひまち』に先立ち、『神楽の舞』が奉納されるが、ここでカメラの撮影を勧めてくれた。
  ここ数年、地域の祭りの写真を取り続けている私の友人、Tさんは早速シャッタ−をきりはじめた。
  最初は赤色の着物、そして黄色、青色と三人の若者が『神楽の舞』を奉納する。
  表では子供たちの花火遊びが始まってこちらも賑やかだ。
 今度は夕方『水垢離』が行われた河原から花火が打ち上げられたが、今いるこの集落は山の中腹。
  目線よりそれ程高くない所で開き、なにより四方の山々に響き渡るこの花火の音は圧巻であった。
  写真は『神楽の舞』と夜空にこだます『打ち上げ花火』。

『おひまち』 『神官Mさんの休息』

『おひまち』のひととき! 
    『おひまち』が始まり、テ−ブルには収まり切れないほどの料理とお酒が ‥‥。
  いつしか私たちもその輪の中に入り、まるで10数年来の知り合いの如く話に花が咲く。
  時計の針は既に12時を回り、日付はもう15日、誰も席を立つ者はいない。
  それどころかこのコミュニケ−ションの語らいはますます熱をおび、夜更けまで続く。
  写真は『おひまち』と神官Mさんの休息のひととき。

祇園渕 青垣山作成過程

6月15日 祇園渕と青垣山作り! 
    島集落のすぐしたを流れる水窪川、ここに深い渕があり、この渕を祇園渕という。
  15日の昼過ぎこの渕で神事を行うが、まず最初に『青垣山』を作るところからはじまる。
  両脇に立てた桂竹に幣束を並べ、二本の横竿を楮の皮を縄にしてとめる。
  祀る神は、木の神(白)、火の神(赤)、土の神(黄)、金の神(紫)水の神(緑)。
  写真左は祇園渕、右は青垣山』。

青垣山 神事

写真36 37 『大沢橋』辺り 10時44分撮影! 
    『青垣山』について『秘境はるか 塩の道秋葉街道』にはこう書かれている。
  島の祇園祭は青垣山のしつらいをして、祭りを執り行うところに原始的な祭りの形態を残している。
  特定の村人が頭屋を務めたり、青垣山を祭るなどの神祭りの姿を今にとどめる貴重な儀式である。
  (この『本』にはこの『青垣山』についてかなり詳しく載せられている)
  当日(08年6月15日)は集落の氏子や、その家族がこの祇園渕に集まり神事が執り行われた。
  最初に神官、そして島の人たち、私たちもそのあとにつづき神事に加わる。
  Mさんによるとこの祇園祭、かっては隣の間庄や長尾などにもあったそうだ。
  しかし、今はこの島の里だけが伝承している祭りとなった。

<メモ>
『旧佐久間町・西渡大井橋 〜 旧佐久間町・飯田線・城西駅』までを歩いた『第8ステ−ジ』。
今回はこの時はからずもお知り合いになった、Mさんの『祇園祭には来いよ』のお言葉に甘え訪ねることとなった。
この島の祇園祭は6月14〜15日が当たり日、但し近年は6月第2土曜日から行われているそうだ。
今回は、友人のTさん、Yさんの3人でお訪ねした。
Tさんはここ数年、近隣の『祭り風景』を撮り続けている。
(今回掲載している写真は全てTさんからお借りしたものです)。
また、Yさんは日頃大変お世話になり、よくハイキングにも誘って頂いている。

祭りの二日間、Mさんのご家族をはじめ、島の人たちには大変お世話になってしまい恐縮しています。
半世紀以上前の人とひととのつながりを今に残し、タイムスリップしたような不思議な心地よい感覚が今も残る。
私が子供の頃はどこでも当たり前のように見かけてきた、そんな情景をこの地にはまだ残っている。
見せる祭りではなくそこの地域の生活に根ざした祭りであり、優雅と力強さを感じた素朴な神楽の舞であった。
この『島の祇園祭』が今の姿で、これからもずっと人々によって伝承されていくことを祈っています。

参考。
地域の伝承文化、『祭り』を撮り続けるTさんのホ−ムペ−ジ。
『世話情浮世蜻蛉』  このペ−ジのリンク先です。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~tocchan/
(島の祇園祭の写真も沢山掲載されています)

<歴史・文化・e.t.c>
文章の一部に引用箇所あり。
祭事などの詳細については一部『秘境はるか 塩の道・秋葉街道』から引用。
(事前に野中先生の了承を得て)。
(野中賢三先生 フリ-カメラマン・三遠南信文化研究会講師・『秘境はるか ‥‥ 』著者)。

[ホ−ム]へ
塩の道(道標)へ
[第8ステ−ジ]に戻る
[第9ステ−ジ]へ