出発地点の大井橋で高度を0に合わせ、歩き始めた。 この先どんな出会いがあるのか、未知の世界への期待で気持ちが昂ぶる。 7時25分出発。 |
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山姥伝説の看板。 古くから『塩の道』や『秋葉街道』の重要な拠点の佐久間町。 ここは民話や伝説の町でも有名。 この『山姥』の話だけでも佐久間町にはふたつあるそうだ。 このほか『竜王権現様』とか『機織淵』などの民話が多数ある。 |
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坂を登ると突然『町並み』が現れ、予想外の展開に感動する。 しかし、休日の早朝ということもあってか人通りはない。 かっては塩の道や秋葉山信仰で賑わい、近年では久根鉱山や佐久間ダム工事で活況を呈していたこの町並み。 懐かしい『鍛冶屋さん』の看板、そして電気屋さん、洋服屋さんなどが軒を連ねる。 歩いていると一軒の家のシャッタ−に、『今日で店を閉めます』との貼り紙。 その貼り紙の日付は昨日の5月16日、複雑な思いでここを通り過ぎる。
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緩い勾配の坂道の途中で道が二手に分かれている。 右手をみると木彫りの『山姥』の像があった。 この上あたりが山姥神社か。 地形からすると、『塩の道』は右手を登って行くはずだがと標識を探す。 |
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踏査会の標識をさがしているとここに思いがけずモニュメントがあった。 たぶんこれもガイドブックには載っていない幻のモニュメントだ。 山姥像の前、今登ってきた道の左手だった。 写真中央、モニュメントの右に見える道の先はは佐久間自治センタ−方面。 塩の道は『山姥像』の前を通っていくと右手に標識がある。 |
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天竜川と西渡の集落。 赤い橋は大井橋より上流に架かる『榎橋』だ。 既に70メ-トルほど登っている。 |
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下から登ってくると大きな桜の木が2本林道脇に見えた。 その林道を折り返すように細い道が登っている。 写真はその登り口だ。 登り口には『八丁坂』の道標(10cm角ほどの石柱が足元にある)。 高度を見ると起点大井橋から110m登っている、 歩数は2231歩。 (ここまで車道を歩いてきたが、山姥像を過ぎた所からここまでも古道があることを11月1日再びに歩いて知る)
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コンクリ−トの所々階段状になった幅の狭い道だ。 歩きやすい道、早朝の爽やかな風を身体に受け、快調に足を運ぶ。 北遠地方の町のイベントに『浜背負祭り』が催される。 かって西渡の船着場から背負子でこの急激な坂を登り、明光峠の荷継場に荷を運んだという。 写真で見たそんな光景がふっと頭に浮かぶ。 |
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2〜3分歩くと金属製の階段がある。 登りきった所の階段手摺に塩の道・踏査会の『道標』があった。 林道を隔てて反対側にも『道標』がある。 |
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林道反対側の目線の高さに標識を見つける。 民家の横をすり抜けるようにして再び細い道を登っていく。 あとで振り返ると塩の道は、大きく蛇行している林道を直線的に突っ切って登っている。 従って古道が判らなくなったら林道を登れば峠に行ける。 |
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民家の軒先を伝うようにして歩いてくるとふたたび林道に出る。 相良の起点から数えて23番目のモニュメント。 この付近の家の軒先で突然犬に吠えられた。 狭い道のギリギリの所までくるので要注意。 噛み付くことはないと思うが、家と離れた右側を歩くほうが良い。 大井橋との高度差は丁度200メ-トル、歩数は2870歩。
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モニュメントの脇には八丁坂の説明が ‥‥要約すると。 現在の国道152号線が完成されない以前、信州と相良を結ぶ物資交流の道として、 天竜川を上下する船から揚げられた水窪方面への荷物は、浜背負人夫によりこの 坂を峠の荷継ぎ場まで運んだ。 |
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林道脇のモニュメントから再び旧道を歩くと明るい場所に出る。 右手すこし下った所に民家があり、前方には峠が見えてくる。 黄色い丸印は八丁坂の道標。 |
峠の集落付近の竹林。 見事な竹林を右手に見ながら瀬戸集落に下っていく。 |
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改修されたばかりの道。 振り返って撮影した。 奥の木立が明光寺峠の荷継場あたり。 |
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写真17の位置から瀬戸集落方面に向けて撮影。 民家の庭先を通るコンクリ−トの細い道が続く。 |
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道から一段高い場所に神社があった。 いつものようにお賽銭をあげて道中の無事を祈願する。 高低差220メ-トル 歩数は4457歩。 |
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写真中央、遠方の高い山が竜頭山。 暫くはこの竜頭山を横に見ながら塩の道を歩く。 やがて舗装された林道西渡線に出る。 平成2年にこの林道が開通し、やっと車が通れるようになったという。 西渡から島集落に至るこの地が秘境といわれる所以だ。 |
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このあと暫くは舗装された林道西渡線を歩く。 道沿いの沢にちょっとした滝?が。 この後もこんな沢をいくつか見かけた。
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道の左側に馬頭観音、ひとつの石碑には三体が刻まれていた。 5分ほど前にもやはり左側に石仏を見かけた。 今は道幅も広く舗装されている。 しかし、昔は牛馬にとってこの辺りは難所だったのかもしれない。 いずれの場所にも新しい花が供えてあり、竹箒も置いてある。 集落の人たちが今も変わらず祀ってあげている様子が伺える。 大井橋との高度差 180メ-トル 歩数6450歩。
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道路右側に案内板を見つける。 いよいよここから間庄の集落か。 暫く歩き続けたので15分ほど休憩する。 高度差は150メ-トル 歩数 7350歩。 |
荷車の『わだち』が残っているといわれる間庄集落。 少し道が曲がったところで目線より少し上にその『轍』について記してあった。 石には生活物資を運ぶ荷車が永い年月の間に岩石を砕き ‥‥ 云々と刻まれていた。 15〜6歩戻って上に登り轍を確認しようとしたが、草が生い茂り近づけなかった。 また、草の枯れた秋にでも来てみようと思う。 (林道西渡線拡幅のあとも、塩の道の轍部分は残っているらしい)
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ここで思わぬ副産物を見つける。 私のリンク先、『万斛の郷』に掲載される半鐘。 その半鐘がここにもあった。 舗装道路からは見えない、『轍』の説明碑の少し上。 そこは昔懐かしいあの『半鐘』のある風景だった。 |
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道沿いには季節の花『つつじ』が咲いている。 一段上がったところが旧道、『轍の跡』前述の『半鐘』はその上になる。 西渡線開通後も僅かに面影を残す『塩の道』。 |
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『轍』の場所を通り過ぎると突然良い香りがしてきた。 季節の香り、新茶の香りがどこからともなく風に乗ってきたのだ。 辺りを見回すとなんと製茶工場が道の下ある。 その香りの心地よさに暫く足を止めてしまった。 |
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間庄集落を越えていよいよ立原(たっぱら)集落に入る。 まさに秘境というに相応しい眺めだ。 私がこれから歩いていく道は前方の茶色い屋根の下辺り。 そこからずっと上まで家が立ち並んでいる、その風景に出会い感動する。 |
ここら辺りがガイドブックの写真の景色のようだ。 その写真は彼岸花が咲いていたので秋に撮影したものと思う。 |
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杉木立の中に入り、ちょっと道を探す。 写真32を撮影した場所からは30メ-トル程度の距離。 枝道があり、判りづらかったのでちょっと時間を要してしまった。 更に先を見ると枯れ枝や倒木などが道を塞いでいる。 |
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古道の左手、目線よりちょっと高いところに祠があったが、文字が読み取れない。 一礼して先を急ぐ。 |
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祠の場所から先に廃屋がみえる。 本来の古道はこの廃屋の軒先を通るようだ、しかし今は荒れていて通れない。 赤い矢印のように廃屋を避けて舗装道路にでることにする。 |
大沢橋から少し上り坂になり、暫くすると分岐点に出る。 塩の道踏査研究会の道標があるのでそれに沿って歩く。 写真の赤い矢印のように進むと再び左側の古道入り口を見つけることが出来る。 ここら辺りからは『島集落』になる。
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この辺りからの景観もなかなかのものだ。 はるか下の方には水窪川と国道が見える。 左側を注意していくと踏査会の『道標』があり、再び古道に入る。 (私が歩いたときは鉄屑などがありちょっと見難かった) 判り難ければそのまま舗装道路を歩けば10分程度で合流する。 |
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再び古道に入り、落ち葉と雑草の中を歩く。 (島集落におりて聞いた話では、この辺りにも『轍』があるようだ)。 |
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前方に廃屋が見えてくる。 この軒先をすり抜けるようにして通り過ぎる。 山から流れ落ちる水と落ち葉で足元はぬかるんでいた。
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廃屋を通り過ぎるとすぐ塩の道踏査研究会の『道標』があった。 そしてその横にもう一枚の案内板が ‥‥ 。 その案内板には『ここから先は難路です、国道へ出て迂回して下さい』とある。 切開(きいなま)集落、芋堀集落へはこの道からは行けないようだ。
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写真の赤色の×印方向が本来の切開集落方面への古道。 危険を冒す事はないので右側の道を島集落へと下りる。 |
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通行不可の案内板に従って舗装道路(林道西渡線)に出る。 歩いてきた道を振り返りシャッタ−を切る(途中神社の鳥居を見かける)。 写真右側の家で人声がするので道路から声をかけ、道を尋ねる。 家の中から『お-い、こっちへ来い』と言われ、お言葉に甘えて庭に入る。 偶然ではあるが、この家がガイドブックに名前が載っているMさんの家であった。 裏の神社の名前を聞くと『あれか、あれは俺の家の神社だ』と言った。 美味しいお茶を戴き、暫く会話に花が咲く。(高低差 130m 歩数 12982歩)
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実はこのM家はこの島集落の開租で代々庄屋、神官も兼ねていたそうだ。 『6月14日と15日は俺の家の祭りだから泊りに来い』と言う。 そして『野中賢三を知っているか』と聞かれる。 龍山村の日入沢で聞いたのでその話をすると、今度は本を取り出してきた。 『秘境はるか・塩の道 秋葉街道』有賀競 野中賢三の文字が表紙に。 『その本に載っている写真の轍を指差しているのが俺だ』 と言って見せてくれたのがこのモノクロ写真だった。
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『切開集落に行く道は崩れて危ないから、俺が通らないように頼んだ』という。 突然『あんたの住所、名前、電話番号を教えてくれ』と言われる。 メモを渡すと『あとで本をやるでな』と言われ、よく意味が解らないままにうなずく。 この意味は後日解った。 家に帰って二日後に思いがけず野中賢三先生から電話があった。 『よかったら家に遊びに来てください』という内容であった。 この内容については後で記述(歴史・文化の項に記載)。
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正午のサイレンがどこかで鳴り、すっかり長居をしてしまったことを知る。 『まだいいじゃないか』という言葉を遮り、失礼することにした。 『祭りには必ずこいよ』という暖かい言葉を背に受け、城西に向け歩く。 M家の(島の祇園祭)祭りは14日は宵祭り、家の中で『お神楽の舞』。 そして15日はこの写真、家の前の川原で『水垢離』を執り行うそうだ 折角のお言葉だから訪ねてみようと思う。
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6〜7分で旧152号線に合流する、右手に小休戸橋がある。 道なりに前方方向へと歩いていく(手前戻る方向は相月・天竜方面)。 電柱には 遠江祇園村 牛頭天王 熊野三社の看板。 その牛頭天王とは先ほど立ち寄ったMさん宅裏の神社のこと。 『祭りには来いよ』と言ってくれたMさんの顔が再び目に浮かぶ。
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牛頭大王を祀ってある付近から新152号線を撮影。 画面右方向には相月トンネル、中央奥には飯田線の鉄橋がある。 この後、西渡発電所入り口の標識辺りまでくると前方に新道が見えてくる。 新152号線の開通でこの旧道、車の通行は全くなかった。 (高度差 110メ-トル 歩数 14554歩)。
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152号線の新旧合流地点。 バス停留所は『切開』、先程のMさんの話では『切開』はアイヌ語ではないかという。 竜山地方やこの佐久間町などのバスはすべて旧道を走る。 集落が旧道に面して点在しているので当然のことではあるが。
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目的地、城西駅はあと少しだ。 道路案内板には『水窪まであと5キロ』となっていた。 私の考えている『第9ステ−ジ』は城西駅〜水窪・塩の道公園。 古道を通るとしてもそれほど長い距離ではなさそうだ。 しかし、池島まで足を延ばすのは交通の便が悪そうだ。 この後のことはまたゆっくりと考えるとしよう。
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食事処の『よれいね茶の子』、この辺りが城西のバス停。 初めてのヒッチハイク! 今朝はここまで車を走らせてくると丁度バスが発車してしまった。 途方にくれ、勇気を出してヒッチハイクを試みることにしたが、こちらの態度が曖昧の為、車はスピ−ドを落とすが止まってくれない。 大きく手を振ったら運良く一台の車が止まってくれたので、事情を説明し同乗させていただいた。 佐久間町の浦川まで仕事で行くとか、朝の忙しい時間帯に快諾してくれたこの方に多謝。 この後のバスは2時間半後、無意味な一日になるところであり本当に助かった。
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よれいね茶の子と城西駅の間にある秋葉山大権現と金毘羅大権現の碑。 火の神様と水の神様を併祀してある。 『秘境はるか・塩の道 秋葉街道』によると石碑の大きさが信仰の大きさだそうだ。
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12時42分、今日の最終目的地『城西駅』に到着。 ここまで昼食をとらずに歩いてきてしまった。 西渡の大井橋から明光寺峠までの一時間は上り坂、その後この城西までは緩い下り坂で疲れは全く感じない。 交通の便さえ良ければ十分水窪の塩の道公園までは歩けるコ−スだ。 今回の『第8ステ−ジ』、町並みよし、眺望もよし、そして秘境というに相応しい集落の景観とそこに住む人々のこころに触れ、まさに心に残るウォ−クを満喫できた。 今回立ち寄らなかった切開集落、ここはまた機会を捉えて訪ねてみたいと思う。 (高度差 130メ-トル 最終総歩数 16347歩) 次回『第9ステ−ジ』はこの城西駅〜水窪塩の道公園までを歩く予定。 (この『第9ステ−ジ』はあとの行程を考えて短い区間となる)。 (ちなみに『第10ステ−ジ』を塩の道公園〜池島 『第11ステ−ジ』は池島〜最終青崩れ峠、とする)。
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参考記録。
歩行距離 10〜13キロ程度か?。
歩数 塩の道 16347歩 最大高低差 260M位
歩行時間 約5時間10分程度(大井橋〜城西駅 含、休憩)
交通手段(往路) 遠鉄バス
城西駅前バス停発 〜 西渡下車 6時46分発 所要時間(24分程度) 料金 440円。
資料 ガイドブック『塩の道ウォ−キング』他・佐久間地域振興課マップ。
<歴史・文化・e.t.c>
野中賢三氏(フリ-カメラマン・三遠南信文化研究会講師)。
この『第8ステ−ジ』を歩いた二日後にご本人から電話があり、よかったら家に来るようにとのこと。
島集落でお世話になったMさんの言葉を思い出し、失礼を承知で早速ご自宅にお伺いしてしまった。
『塩の道』や『四国八十八箇所巡礼の旅』など多岐に亘ってお話を聞かせていただき、
尚且つ、帰りには貴重なご本人の書いた『塩の道』の地図・イラスト・秘境はるか塩の道の本などの資料を戴く。