?長興寺寺史 
   青松山長興寺は、永平寺(福井県)、總持寺(神奈川県)を両大本山とする曹洞宗の古刹である。
  室町時代後奈良天皇の大永7年(1572)、洗馬白主三村民部少輔忠親公の菩提寺として創建された。
  永禄初年武田信玄公の懇請に依り、永禄2年、大本山總持寺第1150世、心月寺第7世才應總藝禅師
  が諸弟子を伴い、数多の経巻仏典を捧持して現在地に入り、長興寺を再興された。
   江戸末期遊歴の文人管江真澄が当地に逗留し、当山15世洞月和尚他文化人と詩歌を通じ交友多く、
  地方文化発展に寄与した。昭和初期、柳田國男が此の寺で「民間伝承論大意」を講じ、洗馬の里が日本
  民俗学発祥の地として、全國的に関心を高めた。
   開創以来今日まで、釈尊の教えを禅の心の中に見出し、修業の道場として心の依り処として、連綿と
  受け継がれている。