ジギタリス
二階から乾いた靴音がこちらに向かってくることに気付き、カルシファーは薪をかじりつくのを止めそちらを見やる。・・・彼はハウルが何処に行こうとしているのか知っているのでソフィーに比べれば大分冷静だ。 ソフィーを自室に残し、彼は軽く風呂に入ったのか髪は金色に染まっていた。 格好はいつもの外出着。大分見慣れたがじっと見ればそれはとても派手なものだ。 しかしそれをすんなりと着こなせてしまうのは単(ひとえ)に彼の美貌の賜物だろう。 階下へとたどり着いたハウルは、皆が寝静まったままの薄暗い早朝の部屋を横切りがてらカルシファーに言った。 「・・・優しさは仇だね。ソフィーをしっかり見張っておいて」 瞳を細めてわずかに笑む。 彼の印象がころころ変わってしまう理由のまず一つがこれだ。 こうして瞳を少しだけ伏せただけで彼は途端に少年から大人の男へと変貌する。 ・・・当然、本人は無意識のうちにしているのだから仕方がないのだが。 だがそんなことに全く興味の無い(と、いうかそれ以前に考えない)カルシファーは再び薪を抱き込むとため息交じりに言う。 つまり、ハウルはソフィーがこの城から一歩もでないようにしておいてくれ・・・とカルシファーに頼んでいるわけだ。そして、カルシファー自身もソフィーの身を思ってそれを望んでいる・・・のだが。 「わかっちゃいるけどさぁ・・・オイラ、ソフィーに勝つ自信が無いよ」 以前あったように、どんなに嫌だとかたくなに言って見せても、ソフィーはあっという間にそんな心と決心をほぐしてしまう。めちゃくちゃに結ばれ絡まった糸を、いとも容易く元通りにしてしまうのだ。・・・その笑顔と言葉だけで。 ハウルは、苦笑した。 「・・・自慢じゃないけど、僕もだよ」 それは素直に賛同したわけなのだが、今のカルシファーは責任重大だ。 ソフィーを城から一歩も出さないようにする・・・といえば聞こえは非常に単純で簡単なものなのかもしれないが・・・実は、難問だ。 「ちぇっ、他人事だと思いやがって!」 ・・・とは言いつつも、カルシファーは一瞬青い光を眩しく放つ。 結界をもう一層張ったのだ。 ハウルはそれを見届けると、上着を翻しドアへ続く短い階段を小走りに下った。 そして、振り向くや否や。 「ソフィーの事だろう?・・・他人事なんかじゃないさ」 ・・・と。 無邪気な笑みを見せ。 そして、入り口のドアを・・・キングスベリーに合わせ。 開け放ち、未練も無くあっさりとドアを閉じた。 ハウルに起こされることにたった四日の間で慣れてしまったのだろうか。 あの事件以来、五日目の朝を迎えたソフィーは珍しく寝坊した。 ・・・それ以前にやはりまだ風邪が治っていないのか、身体がだるくて思うように動かなかったことも要因のひとつだ。 大変、掃除はまだだしおばあちゃんも起こしていない。 マルクルの朝ごはんにヒンの朝ごはんも作らなきゃ。 ああ、カルシファーの薪は足りているかしら? お花摘まなきゃ・・・ああでも身体がだるいし・・・。 おきぬけに思いつく大半のことはいつもこれだ。 ソフィーはこの城において皆(当然ハウルも含め)の保護者的存在だが当の本人はそれに気が付いていない。 家事しかできない、とソフィーは言うが、その”家事”というものがどれだけ難しく、そしてどれだけ大変かを彼女自身が自覚していないのだ。 主婦というのも、立派な職業であるのに。 頭がくらくらし、思わずソフィーは額を押さえた。 ・・・そこからやはり微熱があると察し、下手に動けば健康なマルクル達にまで自分の風邪をうつしてしまうと感じたが・・・喉が潤いを求めていることには抗えない。 ソフィーは以前の城にくらべれば大分すっきりしたハウルの部屋の、室内用の上着を拝借し肩にかけ、ゆっくりと階下へと向かった。 ・・・いや。 向かおうとしたのだが。 だんだんだん、という煩い騒音はどうやら焦って上ってきたマルクルによるもの。 彼は必死の形相をどうにか無理のある満面の笑みで覆い隠して言った。 ・・・まるでソフィーを1階に下ろすものかと立ちはだかっているかのように。 ・・・否、たちはだかっているのだが。 「お、おはようソフィー!」 「おはようマルクル・・・ごめんね、寝坊しちゃって」 「いいんだ!・・・それよりまだ寝ててよ、まだ熱ありそうだもん!」 「・・・喉、渇いちゃって」 必死なマルクルに全く気付かず。 そして、”言葉を発せるようになっている”という重大なことにも気付かず。 ソフィーは再び階段を下ろうとした・・・のだが。 今度はいつのまにか踏み出してきたヒンがソフィーの足に纏わり付く。 さすがに一歩も踏み出せず、再び一段上へとソフィーは後ずさり。 「・・・ヒン?」 「僕が水持ってく!ソフィーはハウルさんの部屋で寝てて!」 そう言うや否や、マルクルはものすごい勢いで階下へと向かい・・・そしてやがて水とグラスが触れ合う音がした。 ・・・ここまでやられれば、誰でも気付く。 ソフィーは思わず苦笑した。 「ハウルったら、皆とつるんでまで・・・」 恐らく、先のハウルとの”契約”とやらが無ければ、ソフィーはすぐに皆の異変を察し、ハウルを自分のせいで起きた厄介ごとに突っ込ませたままでは居られないわ、等と言い平気で思いつくあたりの場所へと扉を合わせ彼を追ったことだろう。 ・・・けれど、不思議なまでに落ち着いていた。 皆が自分を気遣っていることに対し、申し訳なさと共に確かなあたたかさを汲んだからかもしれない。独りよがりではいけないと、いくらか冷静になれたのだ。 ・・・ここは大人しくしていた方が、みんなにとって都合がいいのね。 ソフィーは微笑んで、再び階段を上りハウルの部屋へと戻った。 やはり、言葉を話せるようになっていることに気付かないまま。 |