ジギタリス





ハウルは、ソフィーと新しい城で暮らし始めて以来逃げなくなった。
たったの五日間だが、彼は迫り来る王国の対立による厄介ごとから目を背けることはせずに、だからといってどちらかに協力する、という立場には至らなかった。

だが彼にとってそれは、ソフィーに言われた通りのことをしているまでだ。
はっきりと主張していればいい、自分はこんな馬鹿らしい戦争に加担する気はないのだ・・・と。
最初それを彼女に言われたとき、いくらソフィーとはいえ”何を馬鹿なことを”と彼は正直思ったものだが―――もっと馬鹿だったのは、逃げ続けていた自分だった。
どちらにしても戦争は悪化し、自分が動かなければ何かしら犠牲は増えるばかりだ。誰か一人でも誰かを救う気でいれば、少なからず一人は生きのびることはできる。
とても簡単なことなのに、ソフィーと触れ合うまでは分からなかった。

・・・あの時、心が無かったからなのか。


けれど、心が無かったはずなのに・・・何故あの時ソフィーを”愛して”いると感じることができたのだろうか。・・・それを考えると自分に心が無かったなどと信じられない。
でなければ長い間、ソフィーという名だけを頼りに生きてなどいられない。


心と愛は別物か。


・・・などと考えつつも。





実はハウルは今、堂々とキングズベリー王宮前の広場を歩いていたりする。
あの時ソフィーが真っ直ぐ歩いた道を確かめるように、彼もまた真っ直ぐとソフィーのように王宮を目指して歩いているのだ。

壁に群れるカラスを仰ぎ、青銅製の像にとまる鳩を眺め、上空を通り過ぎていくフライングカヤックを見送って・・・やがて正門へ。

ハウルは立ちはだかる王宮に怯えるどころか、微笑すら浮かべ能天気に歩を進める。スムーズに、躊躇うことなく真っ直ぐと。


そんな彼は、彼の気付かないところで注目の的だ。
鮮やかな上着を変わった形で着こなし、すらりとのびた足は歩むだけでも美しい。
たゆとう少々長めの金髪はその美貌の上を滑り、わずかに除く耳に見えるエメラルド色のピアスはその度に煌く。

注目するなという方が無理だ。
朝の丁度皆が仕事場へと向かう頃合、人混みすらも彼だけを避ける。


しかし、それでもハウルは全く彼らには気付かぬまま正門を通り過ぎる。
その先には兵士が長く厳しい階段を両側から並立し待ち構えているが、彼は構わず能天気にそのまま歩をすたすたと進めていく。
そして、小走りに長い長い階段を軽々と登る。・・・若い男なのだから、当然だが。


・・・登りきった後。
ゆっくりと髪をなびかせ振り向き、自らが辿った道のりを確かめる。

確かに、高齢の女性の体力では嫌がらせ以外のなにものでもない。
ハウルは何の表情も浮かべぬまま、密かに目を細めた。


すると。
背後で気配を感じ、視線だけをそちらへと向ける。
ソフィーを最初案内した細身の従者がこちらへと歩いてきたのだ。
人の良い笑顔だが、それが返って不気味だ。


「お客様、いらっしゃいませ・・・ですが、アポイントは御取りでしょうか」
「いや?・・・ああ、そうそう。少し思ったんだけど・・・」


ハウルは悪びれもせず、微笑を交えてこんなことを言ってのけた。


「相も変わらず、バリアフリーがなってない城だね」















さすがに今回、ハウルに仕掛けられた罠のようなものは無かった。

それもそのはず、彼の王宮来訪はあのサリマンすら予測できなかった事なのだ。
第一今回ハウルは呼ばれていない。
呼んではいないが通さないこともないと、サリマンは彼との謁見を許した。
彼女の地位は王以上の実権を握っていると誰もが言っているが、ハウルは格好を正すこともなく平然とそのままの姿であの温室へと歩を進めた。

不思議と、怖くなかった。
以前はソフィーがここにいると思ったからこそ来れた場所。
このような恐ろしい人に好き好んで会いにくるような趣味は持ち合わせてはいない。
それは当然現在とてそうだ。できれば会いたくは無い。先の事件を考えると元は自分が撒いた種とはいえソフィーすら戦争に巻き込んだのだ。
正直、顔も見たくない。


なのに、なぜ彼女に会いにきたのか。



その答えは、ソフィーにすら黙っていたことだった。




「”よく”これましたね、ハウル」



そんなハウルにサリマンは様々な意味合いをこめて彼へそう言った。
嫌味と、正直によく逃げることなく赴いた・・・ということも兼ねた台詞だろう。

促された椅子に素直に腰を下ろし、ハウルは髪を揺らせて微笑んで見せた。



「先生も。以前は大事な母に”丁重な”持て成し、ありがとうございました」



負けじと、そのようなことを言ってのける。
無論、嫌味以外のなにものでもない。
正直機会があったらいつか言ってやろうとでも思っていたのかもしれない。
実はこの美貌の魔法使いは根に持つタイプだ。
・・・特にこの場で話題に上がっている彼の”母親”・・・ほかならぬ、ソフィーのことに関してで何かがあれば、ハウルは平気でキングズベリーに喧嘩を売ることだろう。

それは勿論、ソフィーも同様だ。実際彼女はハウルの危機をこの場で察し、堂々とサリマンに抗議してみせたのだから。



・・・そして、ハウルはそれを知っているからこそ。



「ハウル、今日は確か私は、あなたのお母様をお呼びしたはずですよ」



ソフィーに、黙っていたのだ。



「先日使いをよこしたはずですが・・・お母様はいらっしゃらないのかしら」



サリマンからの、”ソフィー宛”の招請状が来ていたということを。
それも丁度、ソフィーが呪いに掛かった頃合を見計らったかのような機会に遣わされたものだ。そのような胡散臭い招請状を易々と渡すほどハウルは馬鹿ではない。
冷笑を浮かべ、堂々と言った。



「母は”どういうわけか”外出する度に寡黙になりまして」
「・・・・・・」
「そして今朝、とうとう無口になってしまったのです。・・・それも”どういうわけか”、僕に対してのみ物静かなのです。・・・まるで”誰か”が仕組んだようですね」



そういって、ハウルは組んでいた足を組みなおす。
通常の客であれば瞬時にして追放されてしまいそうなほど今の彼は無礼だ。
彼女は黙ってそれを傍観しているが、彼女の背後に並ぶ黒ずくめの男達は口々にひそひそと何かを囁きあっている。視線は、彼へと向けたまま。


・・・良いものか悪いものか、ハウルの耳は特別なのか、その話題は良く聞こえる。

・・・そして、なんでもないように笑みを交えて言う。



「無礼、って言いたいのかい?」
「!」



まるで遠くの位置に友人を見かけて声をかけるような気軽さでハウルは彼らに問う。
当然男達は驚き、一斉に息を呑んだ。
彼らもまた戦争に関しては択一した能力を持つ魔術師か、奇術使いなのだろう。
取り巻く”オーラ”が通常の人間のそれとは違う。

だからこそ、彼の指摘には驚愕したのかもしれない。
それと同時に・・・”ハウル”の恐ろしさも初めて実感したのかもしれない。

この宮殿では精鋭としてサリマンに遣えてきたからこそ、些細な事とはいえ”気配を読まれる”、”心を読まれる”という現象はそれすなわち魔力の敗北に他ならない。

それだけでも十分彼らは哀れだが。
・・・彼らがもっと可愛そうなのは。



「ああ、そうそう。これは先生にもお伝えしておかなければと思っていたのですが」
「・・・なんでしょう?」



サリマンは外見のみでは美しく、優しい微笑を浮かべる。
だがそのくせ、腹では何を考えているのか全く読むことができない。
当然王宮付きの魔法使いなのだから、手の内を読まれることは敵に背中を向けるも同然であるのだが・・・彼女の場合は、すさまじいカリスマだ。

故に、ハウルも彼女を恐れていたのだが・・・。


どうやらソフィーの行動が、ハウルをふっきれさせたようだ。


このようなとんでもない発言を、生身で、しかも王宮の中心で言ってしまうのだから。



「僕はどちらの王国にも属しません」
「・・・その旨は以前にも聞きました。ですがそれは・・・法度ですよ?」
「法度・・・?」



サリマンがくすくすと上品に笑いながら、杖を持ち直す。
だがハウルは動じない。冷笑すら浮かべ・・・再び足を組みなおす。
すらりとした足が綺麗に円を描くが如く。



「・・・法度は僕には通じませんよ」



頬に掛かる、長い金髪をわずかに掻き揚げる。



「何故なら僕は、もう一つの王国に既に遣えていますから」



サリマンがここで初めて、眉をひそめた。
彼がどちらの国にも属せず、そのくせ既に全く知らぬ王国に遣えているなどというのだから・・・いくら彼女でも多少驚くことだろう。
周囲が疑問視するほど、彼女はハウルに拘っていたのだから。
その、静かな面とは裏腹の情熱で。


けれど、ハウルはいつもすんなりと逃げる。


でも。


今の彼は、堂々と正面に存在しているのに・・・逃げもしていないというのに。
何故か、手を出せなかった。
それはサリマンが強力な魔力を有しているからこそ気付いたことだろう。
そこらの魔法使いであれば、既に掛かっていたに違いない。


彼の、恐るべき魔法に。



「僕はその王様の、代理としてここに来たのです。だから、対等ですよ・・・先生」
「・・・・・・あちらの国でもなさそうですね」
「・・・王様は平和主義者なんです。だから、対話で和平をと思っていたのですが」



掻き揚げていた髪から手をはなし、そのままエメラルドのピアスをはじく。
・・・透明感のある玲瓏な音がそこらじゅうにこだました。



「少々、邪魔が多すぎます」



そして。



ブルークオーツのペンダントヘッドをも、はじく。








その、瞬間。







世界が、はじけた。