ジギタリス





世界がはじけた、その先は。


何も無い、暗闇。
風すらも通り過ぎない見放された場所。
森羅万象の、ゴミ捨て場。
全てのものから見捨てられた、一人ぼっちの異空間。


なにも、ない。
なにも、ない。
ただひたすらの闇。
ただひたすらの闇。

落ちる沈黙。
起こる風、それはヒトの織り成すその息吹。


取り残されたのは・・・ハウルと、彼が腰掛けている椅子と。
目前に存在する恐るべき力を有した宮廷付き魔法使いと。



その。





・・・杖。





どこかからか、悲鳴が聞こえる。
先ほどの、黒ずくめの男達のものであろうが・・・正直今のハウルにとってはどうでも良いことだった。とはいえ、もしこの場に”取り残された”者の中にあの男達の誰か一人が紛れ込んでいれば一瞬とはいえ彼の興味をひきつけることができたかもしれない。

しかし実際に彼らは居ない。
まあ・・・分かってはいた。あの程度の奇術師であれば。



ハウルが、ソフィーを呪いから守りきれぬわけがない。




サリマンが、瞳を細めた。
この異空間にひきずりだされた結果となったわけだが・・・やはり彼女はその静かな表情を崩すことなく口元のみであの独特の笑みを浮かべる。
果たして本当にひきずりだされたのか。・・・或いはわざと招かれたのか。


だが、それすらも今のハウルにとってはどうでも良いことだった。



「面白い術を作りましたね」



その、一人取り残されたサリマンは素直にかつての弟子を賞賛する。
瞳は嘘をついておらず、それが本気で放っている言葉であろうことは伝わった。
売られていない喧嘩を無理やり買い付けることはハウルの美学に反するらしく、彼もまた嘘のない言葉だけで返答した。



「最近、花に凝っているんです」
「・・・まあ、かわいらしいこと」
「僕ら魔法使いは言霊を司って術を放ちます・・・その初歩的な基礎を応用しただけですよ。ちょっと、いじってみただけです」



そう言いつつ、髪を揺らして微笑んでみせる。
・・・これだけを見れば本当に美しく可愛げのある好青年なのだが・・・なにぶんこの可憐な花は棘と毒を秘めすぎている。それらは全て無意識のうちに生成され、彼の預かり知らぬところでその毒牙に誰かが倒れているのだ。

・・・これだから、心臓を食らうなどと噂されるのに。
いかんせん、ハウルはこの通りのマイペース。
その噂が克服されることは当分期待することはできないだろう。

・・・別に、構わないのだろうが。



「最初は、王様に捧げるお守り程度の術でした」
「・・・」



王、という発言になると決まってサリマンは無口になった。
別に表情が暗くなるというわけではなく、あいもかわらずその静かな面に微笑を浮かべたままで言葉を放たなくなるのだ。・・・それが、余計に彼女の恐ろしさを際立てる。

だが。

もはやハウルは恐れない。



「僕は王様に変わった花をプレゼントしたくて用意したんです。・・・ここらではなかなか見ることのできない珍しい花ですよ」
「・・・・・今、あなたがつけているコロンの香りと同じ花ですね」



強烈な威圧感。
さすがのハウルもこれには一瞬言葉を失ったが、表情は一切崩さない。
口元に笑みを浮かべ、それどころかサリマンの指摘に蒼穹の瞳を真っ直ぐと彼女へと貫き笑みを深くさせてまでしてのける。
ソフィーを見つめるときとは、色も形も意味合いも全く違うもの。
ここまで違うものなのかと本人すら驚くほどだった。



「さすがサリマン先生。花にも詳しいんですね」
「これでもあの温室は、私が花を選んでいるのよ」
「それは、失敬」



わざとらしく、紳士的に頭を優雅に下げてみせる。
椅子にすわりつつの動作だが、彼がそれをやってみせるだけで随分と様になる。
今の彼には少なくとも、それだけの余裕があるということか。



「王様が呪いに掛かりましてね・・・通常の魔法で熱を下げはしましたがそれは所詮間に合わせです。・・・魔法治癒は癒すのではなく、相手の体力を一時的に引き上げ回復能力を促す程度のものですから・・・」
「ハウル」
「これはこれはまた失敬、・・・先生には説明せずともお分かりですね」



あくまで見かけは無邪気な笑みを浮かべてみせてはいるが・・・
瞳は完全に、笑ってはいない。



「だから、花と花の持つ言葉の力を借りたのです。・・・あれは強力だ・・・ヒトには出せない一時的魔力増強をたった一輪でしてのける」



独り言のように冷笑を浮かべ低く言うと、サリマンの傍らにある杖がわずかに落ち、こつんという床と軽くぶつかり合う音がかすかに鳴った。



「そして、あらゆる顔を持っている。・・・そこだけはヒトと同じだね」



いつのまにか、敬語が消えている。
その視線は明らかにサリマンのほうへと向けられているというのに。
いくら成長したハウルとはいえ、そこまで堂々と反抗的態度をとってよいものか?
もしこの場にソフィーがいたとすれば、焦って謝らせようとしただろう。
ダメでしょうハウル、我慢なさい・・・とでも言いながら。

それを想像すると、こんな状況であるのにハウルはおかしくてたまらなくなった。
どうにか、表情には出さないように努力はしたが。



「そして、更に言えば。・・・魔法使いも奇術師も、皆言葉にひかれる。それを綾なして新たな術を研究するのが本業だからまあ当然なんだけどね」



白く細長い美しい人差し指を・・・ゆっくりと上げ。



「この花も、”呼ぶ”んだよ。・・・言霊に相応しい人間を」



そのたび、指輪の宝石がキラリと光る。



「そして、バツを与えるのさ」



少しだけ伏せていた金髪に隠されていた顔をゆっくりと・・・ゆっくりと、上げ。



「僕の王様には素敵なものをくれたけど・・・残念なことに、”君”はねぇ」



エメラルドのピアスが、ゆれて煌き、そして鳴る。
共鳴音・・・まるで何かが何かを呼んでいるかのような不思議な空間。

・・・否。

実際に、呼んでいるのか・・・



「どうやらこの花を怒らせたみたいだ」



サリマンを、見て。



「お気の毒にね・・・。ああ、でもその前に」



・・・サリマンを。
・・・



否、違う!



サリマンの”方”を見ていた視線からわずかに動いたのは・・・今まで彼は、サリマンではない別の誰かに話しかけていたということになる。
今になってハウルはようやくサリマンに言葉をかけたことになるのだ。
この、異空間についてからは。



「サリマン先生」
「・・・なんでしょう」



すっかり、彼女はハウルの罠にかかってしまった。
知ってはいたものの・・・どうやら対処に少しだけ遅れてしまった結果らしい。
だが彼女はやはり動じず、静かに微笑むだけ。

・・・もしかしたら、最初から分かっていたのかも知れない。

彼の、ここに来た目的を。



そんなことになど一切興味を向かず、ハウルはきっぱりと言った。
まっすぐと、サリマンの”方”へと人差し指を向けたまま。



「杖、壊します」





ぐっと、人差し指の第一間接に力をこめると。
サリマンが手にしていた立派なこしらえの杖は。



いとも容易く、まっぷたつに割れた。