ジギタリス





キングスベリーは整備された大都会だ。
道も建造物も、全てが政治や軍、そして商業を繁栄させるために計算しつくされて設計されているものだから当然といえば至極当然だ。


そして。
・・・そのような社会から外れた存在が数多に在るというのも・・・また、当然のことだ。
華やかな表通りを一つでも抜け出せば、そこは別世界が広がっている。
職にありつけないもの、軍人になる度胸がないもの、世捨て人。
そんな人間達が肩を寄せ合い日々の暮らしを繋いでいるスラムが存在する。

大抵のスラム住人はそこらの市民階級よりも人間ができている。
だが、その一方で・・・軍の鼠として潜んでいるものも確かにある。
金さえもらえば何でもするという類の人間だ。
その道にとってはなくてはならない存在であろうが、敵に回せば厄介なものだ。


ほとんどの”鼠”は魔法に長けた者達ばかりだ。
極秘の工作を王宮の人間のみでしてのけるわけにはいかない為、顔が割れても問題のない・・・言ってしまえば”使い捨て”にできてしまう彼らは王宮の政治犯や国内の危険認定人物を暗殺するには最良の兵器だ。



そして、丁度今”鼠”たちは王宮からの任務を終え、手に入れた有り金全てをはたいて酒を買い地下運河の楽園で宴を開いているところだ。
邪魔が入らず好き放題できる故にこの地下を選んで酒を毎度飲む彼らであったが。




この日ばかりは、別だった。




足音も、気配も全く無かったのに。
・・・ここは荷を運ぶために建造された地下運河であるため、どんなに気配を殺しても水音が暴れてしまうはずであったのに。



彼らの背後に。



黒装束の男が立っていたのだ。




その様は、死神そのもので。
黒いマントにその全身を覆い隠し、深めにフードすらも被っているために唯一晒している顔面も、鼻と口のみしか確認できない。
・・・ただ、色白で、鼻の形や口元は美しい。
その身長の高ささえなければ恐らくこの男達は”それ”を女性と思っただろう。



・・・さらに。
彼らはこの、声さえも聞かなければ。



「星色の、髪の子を知らないか」



・・・そして、先ほど終えたばかりの任務の”標的”を思いださせる言葉もなければ。



「・・・なんだぁ、てめぇは」



・・・さらには、こうして黒装束の男に逆らわなければ。



「ひとを探しているだけさ。・・・知らないのか?」



酒の勢いが手伝った、卑下する心さえ捨てていれば。



「・・・ああ、もしかして女か?」
「・・・」
「そぉいやぁ、アレは上玉だったなぁ。言われてみればあんたの言うとおり、星みたいな髪をしていたよ」
「・・・・・・」



馬鹿げた、脅しすらしようと思わなければ。



「聞けばあの女、すげぇ魔力持ってるってなぁ・・・国王がびびっちまったんだとよ。殺すのが一番楽だからな・・・俺らもそのつもりだったんだが・・・アレだけの女だとなぁ・・・オイタでもしたくなるってもんだよ・・・ナァ?」



自らの力を、過信していなければ。



「いい女だったぜぇ?」




・・・或いは・・・。






黒装束の男は、そんな彼らの卑しい台詞には別段返事もせず。
視線をふい、と・・・すぐ真横にある運河へと移した。
地下運河とはいっても、通常の川と同じほどの広さだ。
効率をよくするためにわざと流れも速めに設定されている。


そして。
低い声で、ぽそりと独り言のように男は言った。



「・・・深そうだね」



ゆっくりと、顔を・・・男達のほうへと向けて。
フードから煌く宝石のような青い瞳が姿を現した。

・・・信じられないほどの、美青年だった。
笑みすら浮かべて、その水晶の双眸を細めるのだ。


そんな、美しさのままで。



「・・・ねえ・・・」



不気味なまでに・・・静かな、優しい声で。






「コンクリートを抱えた川遊びは楽しいと思う?」











フードの下の髪は、漆黒だった。
エメラルドのピアスが髪に撫でられるたびに煌き、白い頬に光を当てる。
ブルークオーツのペンダントヘッドと同じ彼の美しい瞳は何の感情も浮かべぬまま。

その”様子”を他人事のように眺めている。



「・・・て・・・めぇ・・・!」



その視線上の先には・・・男が並んで、4人。



「・・・ま、ほう・・・つかい・・・だったのか・・・!」



その首から下の身体を、灰色の石膏に変えられて。



「さ・・・、さむ・・・い、寒い・・・、た、助けてくれ・・・!」



―――――――川の、中。



黒装束の男は微笑を浮かべて低く静かに言う。



「大丈夫さ。その呪いは”とけない限り”命は取らない。ただ・・・空腹も感じるし、水の冷たさも感じる。・・・物がぶつかれば、痛みも感じる」
「な・・・!」
「・・・死んだほうがマシかもね」



くすくすと子どものように笑い恐ろしい言葉をつむぐ。



「て・・・、めぇ・・・!こん・・・どあったら・・・、タダじゃ・・・おか・・・ねぇ・・・」



水の冷たさを感じるコンクリートの身体に顔を酷く歪めながら、男の一人が彼に向かって精一杯の罵声を浴びせるが・・・黒装束は耳も貸さずに靴音も鳴らさぬ殺した気配のまま地下運河の出口へと淡々と歩を進めている。
そうして、返事ではない言葉を彼らへと投げるのだ。



「どうせ僕の気配を察してエライ宮廷魔法使いサンがこっちに誰かを派遣するさ。その時”ついでに”助けてもらったら?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・っ・・・・」
「ああ、そうそう・・・それから。・・・僕の大事な恋人に寄って集って呪いを見境なく掛けてくれたのも君達だったね」



地上へと続く梯子へと手をかけて。
振り向いたその表情は――――無表情。



「このくらいで済ましてやったんだ・・・寧ろ感謝しろ」





そう、言い残し。



手をかけた、梯子は使わず。




そのまま・・・・・・羽を広げて飛び去った。






名残に落ちた黒い羽を確認するや否や、川に並立させられた男達は息を呑んだ。
そして、自分達がしでかしてしまった恐ろしさを今更のように知ったのだ。
金さえもらえば何でも引き受ける・・・そして、仕事の理由と詳細すら問わなかった自分達が浅はかだったと今更のように自覚したのだ。



彼らは。



あの、魔法使い”ハウル”を怒らせてしまったのだ・・・と。












上空を高速で飛翔しながら、ハウルは指輪へと語りかけた。
黒装束を纏ったまま、その色よりも濃い漆黒の羽を広げて。


「カルシファー、害虫は駆除しておいた。後は蜂の巣をつつきにいってくるよ」
『・・・ハウル・・・あいつら、ソフィーに何を・・・』


指輪越しに、カルシファーも会話の内容を聞いていたのだろう。
心底穏やかではない様子で、悪魔らしくもなく恐る恐るハウルに問うた。
元々ハウルに、先ほど城にサリマンと共に現れた男達の人相を術で記憶させたのはカルシファーによる魔法であったため、ずっと気が気ではなかったのだろう。


けれども。


ハウルは能天気に、あっけらかんと言った。


「本人は僕を脅したかったみたいだけど。・・・残念ながらバレバレだったさ」
『何でわかるんだよ?』
「だって、あいつらからはソフィーの香りがしなかった」
『・・・じゃあ』
「・・・そう。・・・やっぱり、蜂の巣を始末しないとダメみたいだ」




けれどその瞳は・・・明らかに、揺れていて。
恐怖ではなく・・・否、恐怖に限りなく近い感情ではあるが・・・形が全く違うもの。
時が経つにつれ、ゆらぎは増していく。
纏わり付く劇場を振り払うかのように飛翔しても、ぬぐえ切れない、ぬぐおうとも思わない心に貼りついた想いが彼をこうして苦しめるのだ。


限界は、近い。
さっきだって、ギリギリだったのだ。
もし感情が許容範囲を超えていたら・・・殺してしまっていたかもしれない。

元々、ソフィーの呪いを消し去るためにあの男達の魔力を根こそぎ削いだのだ。
サリマンの術という、礎を失った呪い。
後は術者の魔力を削げばそれで”呪い”は消え去る。

恐らく、もはやソフィーの身体で呪いは完全に浄化されただろう。
・・・もっとも、本人はハウルの手の届かない場所へと行ってしまって帰ってこないのだから確認しようもないのだが――――。




ハウルには、ソフィーの居場所が何故かわかっていた。
何故わかるのかは、彼自身にも分からない。



けれど、目を閉じれば鮮明にその風景がまぶたの裏側に現れるのだ。



そして。
そこにある風景の中の住人達がハウルにこう告げるのだ。
”時間がない”と・・・。


住人達は、人ではない。


草。
土。
風。
そして、空。




そして・・・花。





ソフィーに残された時間が少ないという、原因。






その原因が、ハウルへと叫び続けているのだ。









その、花は・・・














ジギタリス。