ジギタリス





泣き声が、する。




だれか、泣いてる。





だあれ?





あなたは、だあれ?








私は・・・








・・・・・・・わたしは、だれだろう。






わたし、わたしを忘れてしまったみたい。






わたし、私を亡くしてしまったみたい。






わたし、どこにいっちゃったのかしら。






わたし、これから何処にいくのかしら。






いいえ。






わたし、何処にもいけないの。



だって、・・・ほら。




わたしには、足がないもの。
わたしには、心がないもの。
わたしには、なにもないもの。





ここで、ずぅっと崩れたままでいるしかないの。




だけど、おはなしはできるわ。








ねえ。






あなたは、だあれ?



どうして、泣いているの?







・・・ごめんね、わたし・・・目もなくしちゃったみたい。
なぁんにも見えないの。
だから、あなたも見えないの。







ねえ―――――――――――――
























灰色の世界。
降りしきる豪雨。
黒い服の、人の群れ。

埋もれ行く、箱。
細長い箱。
白い花。
すすりなくおと。
やわらかな土。湿地のようなそれ。

昼なのに、夜のよう。
神さまの慰めは、みみざわり。



あなたに何がわかるっていうの。






自分とは全く違う、美しい女性が両肩を挟んで諭すように言う。
黒い服すらも、自分とは全く違う、高価なものを選んでいる。


わたしはそれを。
他人事のように、冷たく感じる。



「だいじょうぶよ、心配しないで。あなたにはとっておきの財産を遺してくれたわ」



わたしはそれを。
光のない指の先だと、感じた。



「だからあなたは、私のことで気を使わなくてもいいのよ」



わたしはただ。
どうしてあなたは泣かないのだろうと思った。



「無理をしないで。あなたは自由なのよ」



わたしはただ。
それを決別を促すための言い訳だと思った。



「あなたは、とってもいい子よ。だから・・・これからはわがままになりなさい」





わたしは、ただ。






最初から、一人ぼっちだったのだと。
最初から、無理だったのだと。
最初から、何も望まれていなかったのだと。





















ああ。






そうか。










そんなことも、あったっけ。














これは、わたし。


















わたしね。
























「おとうさぁん!どこぉ!?」





白い花畑。





「おとうさぁぁん!!」






ああ・・・ここ・・・。







「どこなのぉ!?」






よく、きたっけ。






「どうしてぇ!?」





わたし、なにも知らなかったから。
・・・小さかったから。

浅はかだったのね。


ここの白いお花畑。
誰一人としてここに来なかったから、気に入って毎日のように遊んだんだわ。
・・・ひとりぼっちで。



でも、お父さんはそんな私を怒ったわ。
・・・当たり前よね。






そこは、ジギタリスのお花畑だったんだもの。





だけど、ちっちゃかったからそんなこと分からなかった。
今では、白かったってだけで、花の形も忘れちゃった。
・・・魔法なんて、見たこともなかったもの。



だから信じなかったわ。
ジギタリスは魔法の毒を持ったお花だなんて。
お友達だって思ってたんだもの。
よく、お話だってしたわ。




きつく、叱られた。
あんなにお説教されたことなんて、なかったってくらい。
・・・ああ、そうね。私・・・お説教されたこと、あったっけ。
・・・どうして、忘れていたのかしら・・・。




だけどわたし、いいつけを破ったわ。



・・・おともだちだって思っていたから。




そうしたらいつもお父さん・・・心配してお花畑まで来て困った顔して笑ったわ。
仕様の無い子だねって。
怒ることも疲れちゃったよ、って。


わたし、そんなお父さんの顔、大好きだった。
お父さんのこと、大好きだった。






だから、あの日。






また、ここにくれば。




いいつけを破って、ここにくれば。








来てくれるって、思ってたの。







会いにきてくれるって。








ううん。








迎えに、来てくれるって。






















さらさらさら。


風の音。


さらさらさら。


水の音。


土の香。
空の青。
山の碧。


さらさらさら。


柔らかな湿原。
踏み潰す、靴音。
近づいて、零れる吐息。
微笑みの吐息。


さらさらさら。


ひとり。


さらさらさら。


わたし、ひとり。


さらさらさら。


わたし、ひとりぼっち。


この、ひろぉい世界で。



さらさらさら。



風はしらんふり。


水はいじめるの。


山は閉じ込める。





でも。




靴音。




優しい。




とても、優しい。





そこで、止まって。
なんにも言わないけど。





あなた、とても、優しい。







甘い、香り。







ねえ





あなた、おとうさん?























・・・突然。





肩に回された、綺麗な手。





・・・おとう、・・・さん?























「やぁ、ごめんごめん」

















・・・





・・・、・・・・・・・おとう、さ・・・・



















「探したよ」























引き寄せられて。





強い、腕。


















「どちらへ?」

















・・・、・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・だあ・・・・・れ?












金色の、髪。
青い、ひとみ。
すらりと、高い背。
優しい、香り。


・・・ジギタリスの、香り。













「私が送って差し上げましょう」














促す、腕。





高鳴る、わたしの、胸。













「ごめん、まきこんじゃったね」











後ろを振り向く。






暗闇で、何も無い。

誰も、わたしたちを追うものはいないのに。









だけど。

あなた、・・・あなたは。








わたし。







わたし、わたしは。











あなたを、知ってる。












・・・あなた。





あなたは、どうして。







だれも、こないわ。
怖がって、だれもここにこないの。







なのに、どうしてあなたはここにいるの。
どうしてあなたはわたしを連れて行くの。








ここは。







お父さん、いってたもん、とても恐ろしいお花畑だって。
魔法使いですらうろつけないって。
いけるのは、無鉄砲でなんにもしらない私くらいなものだって。







なのに。










どうして?


























そうしたら。




あなたは、笑って。



















「ソフィーがいると思うから行けたんだ」




























・・・わたし。























わたし・・・









・・・わたし・・・。




















わたしは。
































わたしは、ソフィー。


























パキン!!

















何かが割れる音。




















引き裂かれていく、わたしとあなた。
























声が、聞こえる。










すすりなくこえ。





























ああ。

















ごめん。
























ごめんね。

























だいじょうぶ。





わたし、もう充分ねむったから・・・




















だいじょうぶよ。




























わたしは、ソフィー。


























あなたは・・・














































身体がだるい。
全身が固まって、身じろぎするたびに骨がなる。
こんなに酷い関節痛を味わったのは久しぶりだ。
起き上がろうとは思うのだが・・・なかなか身体が言うことを聞いてはくれない。



無意識のうちに、こう思ったのだ。



”年寄りって、やっぱり大変ね”――――。



少し前までは、再びこうなることを恐れていた。
こうなって、また・・・
また、大好きな人を失って、ひとりぼっちになってしまうのが怖かった。



だけど。



今、誰かが身体を支えてくれている。
優しいちから。素敵な香り。綺麗なひとみ。不思議な黒髪。







泣きじゃくる、あなた。

















なによ。









夢の中では、格好良くエスコートしてくれてたくせに。
・・・やっぱり現実は、結局こうなのね。











「・・・なあに?また、何かあったの・・・?」







自分の声を聞いて、決定的だった。
酷い声ね、90歳のおばあちゃんみたい。
・・・いいえ、きっと今のわたしは、本当に90歳のおばあちゃんなのね。

けれど、不思議と心は落ち着いている。
どうしてなのだろう。




でも今は、その声に、ばっと顔を上げてこちらを向いたあなたに驚く。
・・・あなたが泣いているのは・・・




私が、またおばあちゃんになってしまったから?
・・・それよりここ・・・どこかしら。
私確か、お城の、それもあなたのお部屋で寝ていたはずよ。


・・・なによ、その顔。
まるで鳩が豆鉄砲食らったかのような顔をして。





「・・・ソフィー・・・」





なあに?
・・・それよりあなた・・・泣き顔でも綺麗なのね。
うらやましいのか、ねたましいのか、どっちにしたらいいのかわからないわ。
・・・ま、お年寄りになっちゃった私だからこの際どちらでもいいんだけど。




「・・・これって、酷い呪いねぇ・・・身体が鉛みたいで重いったらないわ」




恋人相手に言うような、情緒的な言葉はもはや浮かばない。
直情的で、わかりやすい日常会話しか今の私には仕えない。
・・・いいえ。

それ以前にわたしは。


・・・まだ、あなたの恋人なんて名乗ってて許されるのかしら。



なんて、色々と考えていたら。



あなたは心からかみ締めるように。
何もかもを悟ったかのような涙に濡れてはいても意思の強い綺麗な青い瞳で。
私のしわくちゃになってしまった顔を見て晴れやかに言う。




「そうだよ。心って、重いんだ」




・・・どこかで聞いた台詞ね。




と、思ったら。
泣きじゃくっていた男の子は一体どこにいってしまったのかしら?
花咲くように、笑って。




「大好きだよソフィー!!・・・良かった!!」




・・・またまた、どこかで聞いた台詞ね・・・なんて、言ってる場合じゃなかったわ。




だってあなた、思い切り私を抱きしめてきたんですもの。
・・・年寄りにはきついのよ。・・・あなた、分かってる?





・・・しようがないわね。






ほんとに、私がいないとダメなんだから。








ハウルったら。