ジギタリス |
温室の柔和な空気には似つかわしくない重圧がそこには在った。 ハウルにとっては”先ほど”訪れたばかりの場所。 挙句、魔術のぶつけ合いをした相手が目の前にいる。 ・・・だが彼は逃げも隠れもせず、ただその漆黒の翼でソフィーを守るように包み込み、じっと気配を伺っているだけである。 一方のソフィーは、実際に彼女と会うのは”ペンドラゴン”の母親として、彼の代行を務めたあの日以来なのである。 初めて会った時から感じたことではあるが――― ソフィーは何故かこの恐ろしい魔法使いに対し、割り切れない怒りと共に・・・ 何故か、通じるものがあると。 根本的な部分では180度逆さまなソフィーとサリマンではあるが、どこかしら分かってしまうようなものがあると・・・実に形容の難しい”共感”のようなものを覚える。 怖い、と同時に起き上がる好奇心の原因は、きっとこれであるに違いなかった。 そんな複雑な感情を交えつつも、やはりこの圧迫感と重圧は心地のよいものではない。人間、瞳を観れば大抵の内面を知ることができると聞くが、そのようなものをじっと見ていられるような生易しい”呪縛”ではないようだ。 ・・・しかし。 生易しいと感じているのはソフィーだけではなかった。 無論、ハウルでもない。 サリマン、本人もである。 彼女自身が言ったわけではない。 彼女はその表情を独特で静かな微笑を浮かべたままで、その実何を考えているのかわからない。それはソフィーが知っているサリマンの、たった一度きり会った当時の彼女の印象をそのまま再現したも同然の様であった。 けれど、決定的に異なる点があった。 ソフィーはそれに気付いた瞬間――――――怒りのようなものが、急速に縮んでいくのを感じた。必死にふくらませてきた風船が思わず気を抜いてしまったがためにあっというまにしぼんでしまったかのような・・・あっけない、あの感じ。 そして、次には居てもたってもいられなくなった。 考えよりも先に、行動がたってしまった。 「サリマン・・・」 ・・・と。 ソフィーがハウルの翼から離れようとした・・・刹那。 それを、ハウルに止められる。 「・・・ハウル」 どうして止めるの・・・あなた、気がつかないの。 実際にそんな言葉を発しなくても、一瞬の一瞥で全てが伝いあってしまう。 ソフィーの無言の質疑に、ハウルは瞳を伏せて首を横に振った。 諦める・・・といった類の返事では無く。 恐らくは、”ここから出るな”と言いたいのだろう。 ソフィーにもそれくらいは分かった。 自分たちの真下に、幾何学模様で形成された魔法陣が存在している。 ハウルはこうしている間も、いくら本調子に戻ったとはいえ、その姿を黒き鳥のように変じ静かにソフィーを全力で守ってくれているのだ。 ・・・少なくとも、余裕が在るようには思えない。 ここで自分の思い通りに行動を起こせば、そんな彼の想いを無下に捨ててしまうことになってしまう。一体ここに辿りつく前に何があったのかは分からないが、臆病である自らを奮い立たせ―――あるいは臆病であることなどに構わずに身を挺して救おうとしてくれた彼の優しさと愛を無視することなど・・・ソフィーにはできない。 でも。 ・・・でも・・・彼女の”それ”を無視してしまうこともできな・・・――――― そう。 思った、矢先。 「―――・・・・・・・・・・・・っ!!」 彼の、声にならない悲鳴。 ・・・ソフィーには何が起こっているのか、わからなかった。 只理解できたのは・・・彼が歪んだ表情のまま、いつも愛用しているピアスの・・・左耳の方を無理やり外し、それを瞬時にイヤリングへと変じさせ、素早く彼女の左耳に付けたことだけだった。 そして・・・怪物のように変じた黒き羽毛に覆われた、鋭い爪を有したその手で頬を撫で――――長い、口付けをされたことだけだった。 そして彼が酷く顔を歪めたまま、眉を寄せ。 ・・・それでも弱々しく微笑んだことだけだった。 肝心なことは、何も分からなかった。 ・・・その、刹那。 彼が。 こちらの方へと、まるで糸が切れた操り人形のように倒れ込み。 ソフィーは、只為す術もなくそんな黒き鳥の身体を受け止める。 そして。 それを。 知って。 「・・・・・・・ハウル・・・・・・・?」 呆然とした、空ろな声は少女の声で。 「・・・・・・・どうしたの・・・・・・?」 彼を受け止めた手は、皺一つない、白く細い、若々しい指で。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・は・・・・・・・・・・・」 皺一つない、若々しい少女の左頬には。 「・・・・、・・・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・ハウル・・・・・・」 血の、匂い。 「・・・・・・ハウル!」 少女の視線の先には。 「・・・ハウル!!」 漆黒の、美しい翼に。 「ハウル!!!」 貫通した。 無数の―――――――槍。 |