シギタリス





久方ぶりに、金髪のハウルを見たような気がする。
それも、長めの金髪・・・まさしく出会った時のハウルそのものだ。
まあいくら出会った頃そのものでも、表情の幼さはソフィーを前にしている今この時分なのだから隠しようがないのだが。


・・・などと、随分とトンマなことを考えているのは、やはり熱があるからなのか。


ソフィーは生まれて初めて、お説教なるものをされた。
それもよりによってあのハウルから、である。
ちなみに今もそのお説教は続行中である。
・・・彼に髪をタオルでごしごしと拭かれながら。


「全く、人がせっかくいじってやったっていうのに・・・」
「・・・いじる?」


頭がぼーっとしているせいなのか、ソフィーの呂律はうまく回っていない。
考えもいつもより、はっきりとした答えがみつからず右往左往するばかり。
・・・しかしやはりそれでも、ハウルの話は続くのだ。


「そう。・・・今朝君にまじないをかけたんだ」
「・・・まじない・・・?いつのまに・・・」


いつものソフィーであれば、”ああ、今朝のスープ皿をスプーンで思い切りつついていたあれ?”と気付いたであろうが・・・今の彼女にそれを求めてはいけない。
彼もそれを十二分に分かっていたので細かいつっこみは一切しなかった。
・・・元々上げ足をとるタイプの男ではないが。


「簡単な術だけどね。今日はソフィーが早く仕事を切り上げる気分になるようにまじないを掛けたんだ。・・・今朝から調子悪そうだったし・・・でもだからといって止めても聞くような子じゃないしね」
「・・・・・・」
「言っておくけど洗脳じゃない。自分の欲求に少しだけ素直になる術さ」


なるほど、いつもの私なら確かに這ってでも仕事を続けるでしょうね・・・と通常のソフィーなら微笑んでみせるところであったが・・・何度もいうが、今のソフィーにそれを求めてはいけない。・・・話を理解するだけでもいっぱいいっぱいなのだから。


「・・・だけど、どうやらそのまじないが裏目にでたみたいだね」
「・・・」
「よりによって、君の欲求はとんでもない道しるべをしてしまったようだ」


どしゃぶりの中、墓地でうずくまっている彼女を見つけた時は文字通り心臓が止まるところだったのだ。・・・よりによって、墓場で。ソフィーには全く似合わない場所だ。

話によると、ハウルは結局心配になって丁度術が利き始める夕方にソフィーが居るはずの帽子屋に訪れたが(この格好でいったので多少騒ぎになったが)、ニアミスだったようですれ違いになってしまったらしい。
そして魔術でソフィーの気配を探しているうちに・・・ようやく彼女を見つけ出したのだという。・・・そういえば、意識が落ちる数秒前、誰かの叫んでいる声を聞いたような。


・・・ああ、だめだ。やっぱり頭が働いてくれない。
それに・・・なんだか。


「・・・ソフィー?・・・大丈夫?気持ち悪い?」
「・・・眠りたい・・・」


髪を拭く手が止まったかと思うと・・・もはや彼女の髪はすっかり乾いていた。
少し魔法を使ったのだろう。


「分かった。・・・歩ける?」
「大丈夫よ」
「どこが!」


椅子から立ち上がり、歩くどころかしゃがみこんでしまったソフィーを、ハウルは抱き上げた。肌寒い身体に暖かな体温を感じて、何だか泣いてしまいそうになった。
・・・まだハウルのまじないが利いているのだろうか。

一方のハウルは、抱き上げた体の軽さに驚いて思わずソフィーの顔を反射的に見る。うっすらと水滴が額についているのは、さきほどの土砂降りによる名残などではなく熱によるものだろう。

触れている腕に伝わってくる尋常ではない熱に、ハウルは暢気に話している場合ではないということを悟った。


まさか呪いを誰かにかけられたのでは・・・といった考えも脳裏を横切っていくが、とりあえず今一番大事なことは彼女を暖めてやり、柔らかなベッドに寝かせてやることである。


なるべく彼女に振動が行き届かぬよう、静かに階段を上っていると。


・・・ふと、密度の薄い言葉が彼の耳に届いた。




「・・・ごめんね」




それが、謝罪の意味だと察するのにハウルはかなりの時間を要した。
かなり、とは言ってもただ単にハウルがそう感じただけであって、実際には一瞬の間の出来事だ。何故彼女が自分に謝ってくるのかが理解できなかったからかもしれない。



だが、今は考えている場合ではない。


ハウルは歩を進め2階にたどり着き・・・少々迷った後、彼女と共に自室へ入った。
別にやましい意味はない。呪いが関係していたとすれば、ここが一番安全だからである。ここは彼の術が最も聞きやすい空間であるためそう判断した。
さすがに魔女避けのアイテムは必要ないので撤去したが。


それ以前に、ハウルにそんな考えや欲求はない。


周りは彼を外見で判断して女性関係が豊富だの、浮気屋だのとのたまうが実際の彼はそれとは真逆だ。

誰も知らないが、実際に彼がまともに異性として付き合っているのはソフィーが初めてなのだ。・・・子供の頃から、ずっと待っていたのだから。



・・・ああ、だからか・・・とハウルは思う。



何故自分が美女の心臓を食らうだの、かっさらうだのわけのわからない噂をたてられているのか理解できなかったものだが、あれは子供の頃ソフィーを見て以来、彼女に似ている髪形、彼女の面影を持つ女性を片っ端からあたっていった記憶がある。・・・違うと分かった途端、瞬時にして興味がなくなるのだから5分も持たない関係だった。下手すれば関係なんてものが繋がる以前に「なんでもない」といって去ったものだ。


カルシファーのいう、”女の子にふられた”というあの事件は、ソフィーだと思った少女が全くの別人だったことだ。



今考えればああ思われても仕方が無いと思ったが。



最も重要な事実に気が付く。


そう。今は悠長に若気の至りに想いを馳せている場合ではない。
ハウルはソフィーを自分のベッドに寝かせて、随分と遅れてしまった返事をする。



「・・・どうして謝るの?」



肩まで毛布をかけてやり、彼女の額に冷気をこめた手のひらで触れる。
・・・かなり、熱い。いよいよ本格的に心配になってきた。


だがソフィーはそんな自分の状況にはお構いなしで更なる会話を進める。



「・・・迷惑・・・かけて」



・・・一瞬、ハウルの動きが止まった。
そして、しばらく経ってから長いため息をつく。
この程度のことで迷惑なんぞというのなら、自分が彼女にかけた迷惑と思わしきものは大量に発掘可能だ。
・・・価値がないので掘り返したりはしないが。




「心配と迷惑は全くの別物だよ」



まあ、それがソフィーのいいところなんだけど・・・と言葉をつむごうとする前に。


彼女に、先を越された。


「わたし・・・ずっと・・・そうだったの・・・昔から・・・」
「・・・」


文節がおかしいのと、言葉の順序が正常ではないのは熱のせい。
けれど内容を理解するには十分の材料だった。
元来、魔法使いは呪文を使うため言語能力が著しく高い。
この程度の内容であれば、瞬時に理解することはハウルにとっては朝飯前だった。


「一番に・・・我慢をすれば・・・喜んでくれた・・・一番に・・・諦めれば・・・笑ってくれたの・・・だから・・・ずっと、ずっと・・・・そうしてきたの・・・」
「・・・」


・・・まじないの効力はもう切れたはずだ。
故に、これは彼の力によるものではないことは術者本人が一番知っている。
普段は絶対に語られることのないソフィーの言葉達。
それは、かつての自分によく似ているとハウルは思った。
あの時はソフィーが自分の傍にいてくれた。
今はその、逆の立場にある。

・・・何だか、不思議な気分だった。

そして、弱弱しく自分の手のひらを探す彼女の指先を、愛しいと思った。


「ずっと、なんでも・・・言うことを聞いてきた・・・反発なんて・・・一度もしなかった」
「・・・」


自ら進んで、彼女の指先に触れていざなう。
すると行き場所を見つけ出した白く細い手が、彼の指を求めた。
ハウルはそれに、目を細めて微笑む。


「お父さんのために・・・レティーのために・・・、・・・お母さんの、ために・・・」
「・・・ソフィーの、ためには?」


彼女の手を両手で包んで、口元へと近づける。
・・・雨の匂いがした。
悲しい匂いだ。


「・・・考えたこと・・・なかった」
「・・・なら、これから考えて」


それはハウルの切実な願いだった。

彼女が自分を想って色々と世話をやいてくれるのは本当に嬉しい。
そして、それと同じようにこの城に住む全ての存在へ愛を育むソフィーを、ハウルは心のそこから愛している・・・でも。

彼女には、もっと彼女自身をみてほしい。
彼女には、もっと彼女自身を認めてほしい。

裏方に回る必要はない。
もっと、もっと輝いていいのに。


だのに。


「・・・いいの・・・もう・・・なにもかも・・・」
「・・・、・・・ソフィー?」


彼女は、決して首を縦には振らないのだ。


「とんだ・・・道化だったの・・・わたし・・・」
「・・・どうしてそういうことを言うの?」


たとえ、今彼女が高熱にさいなまれているとしても。
この発言は彼にとって洒落にならない内容だったのだ。
彼女はたった今、自分自身がつかめる幸せの可能性を放棄したのだ。

・・・それを黙って見過ごせるハウルではない。
子どものような言葉ではありながら、ソフィーを静かに問い詰める。


「ソフィーがいるから君の店は繁盛してる。ソフィーがいるから君の妹は好きなことができる。・・・ソフィーがいるから・・・僕は今、生きてる」
「・・・違うわ・・・わたしは・・・」
「違わない。・・・そんなことは、僕が許さない」
「・・・ハウル・・・」


包んでいた指先は、彼の体温に抱かれて冷たい氷から暖かな若葉ほどの生気を取り戻したかのように見えた。

ハウルは、その指先に口付ける。


「・・・だから・・・、早く元気になって」
「・・・」
「・・・そうしたら・・・沢山聞かせて。・・・君の、本当に想っていることを」
「・・・」


ふんわりと。
ハウルは優しい微笑を浮かべ、囁いた。
その優しさは随分と印象は違うけれど・・・子どもの頃、唯一自分に優しくしてくれた父親の面影を思い出させる。

自分を愛してくれ、優しく守ってくれた。
時々不器用な面を見せることはあるけれど、誰よりも強く、誰よりも弱いそんな人だったような気がする。・・・なんだ、本当にハウルみたいではないか。

・・・そう想うと、少しだけ優しい気持ちがソフィーの心に蘇ってきた。
ふ、と微笑を浮かべる。
浮かべて・・・それがなぜか、悲しく感じられて。


「ハウル・・・」
「・・・?」
「私のこと・・・好き?」
「うん・・・大好きだよ」


それが、どうかしたの?・・・と。
当たり前のように答えた彼が、愛しくて愛しくて仕方がなかった。
愛しているから。

背中合わせの幸福と絶望に、恐怖しなければならないのか。


「・・・変ね・・・」
「・・・なにが?」
「わたし・・・あなたには沢山我侭も文句も言ってるし・・・我慢もしてないわ」
「・・・我慢されたら困るよ。・・・一体、どうしたんだい?・・・何かあった?」
「それなのに・・・あなたは・・・私を愛してくれるのね」
「・・・、・・・ソフィー・・・?」


囁きと、呟きが・・・嗚咽に変わった瞬間だった。
ハウルは、彼女の顔を覗き込んで絶句する。
そして、それと同時に・・・握った手のひらの力をこめた。
このまま彼女が砂となって零れ落ちてしまうような気がして・・・怖かった。


ソフィーは。
ハウルが見たこともないような空ろな微笑を浮かべて。
幾筋もの涙を構わずに流して枕を濡らして。


「・・・愛されたくて・・・わたしを殺してきたのに・・・」
「・・・・・・」
「・・・ハウル・・・私のお母さんの娘はね、レティーだけなんですって・・・」


それに。
・・・戦争のとき、あなたを追い詰めたのは。


「私・・・知ってるの・・・お母さん・・・私をサリマンに売ったの・・・あなたもろとも」
「・・・もう終わったことだよ」
「・・・ハウル・・・ごめんなさい・・・私はいつも・・・あなたを追い詰めてばかり・・・」
「・・・そんなことない」
「それなのに私・・・お母さんへの想いを・・・捨てられないの・・・」
「・・・ソフィー」
「だけど・・・お母さんは・・・」



私のお母さんには、なってくれないの。














・・・秋虫の鳴き声が聞こえる。
夜も随分と更けたのだろう、月の光が一段とまぶしく見える。
ハウルは寝そべっていたベッドから半身だけを起き上がらせて、すぐ横を見つめる。

泣きつかれたのか。
ソフィーはぐっすりと眠っていた。


彼女が泣き止んだ後、容赦なく熱がどんどんと上昇を続けたため、ハウルが自分の身体を媒体としてまじないをかけ、彼女を抱きしめて寝ることによって体温の調節を促す手助けをした。


それに、あの時はソフィーを抱きしめたくて仕方がなかったのだ。
そうすることによって、少しでも彼女の内にある孤独が解消されればと想った。


ソフィーを見つめる青い瞳は、切なさと優しさと愛しさを全てかねたものとなる。



・・・けれど。



その瞳は瞬時に細められ、冷たい色をおび。




ハウルは、窓の彼方に除く月を仰いだ。




「・・・そろそろ、いじったのが動くかな」