ジギタリス





どうしよう、何を着ていけばいいのか・・・とあたふたとしているソフィーにハウルは目を細めて、”いつもどおりで、・・・そう、自然にね”と微笑んだ。
朝食はどうするの、と聞いたら”どこかで適当に取ろう”とあっさり答えられた。

彼はカルシファーに二言三言何かを告げると、すぐにソフィーの手を取って・・・部屋の入り口を・・・ソフィーの帽子屋の近くへと合わせて扉を開けた。

この彼の行動にソフィーは首をかしげ・・・。
いや、はっとする。


自分は一度も、一般的にハウルを連れ立って街を歩いたことはない。
歩いてみたいとは正直に言えば何度もあったが・・・彼の美貌のことだ。只でさえ女性が沢山集まるあの帽子屋付近、貴婦人に群がられてそれどころではなくなるに決まっている・・・、・・・第一私、美人じゃないし・・・という悲しい口癖まで付属されいつもこういった後ろ向きで現実的な答えを導き出した後にこの想像は幕を閉じる。


だが。
今その想像の産物が、今こうして現実になろうとしているのだ。


妙な期待と不安感。
けれども、自分の手を握っている彼の体温が不思議とソフィーを落ち着かせた。
先の、寝起きの混乱が嘘のようだ。


いや、正直昨夜のことはなんとしても聞き出さなければなるまい。
ソフィーはそう決めた。


・・・と。
色々とあれやこれやと考えているうちに周りの景色は見慣れた表通りに変じていた。女性達の黄色い声で我に返ったのだ。


ほら、嫌な予感が的中しちゃった。


ソフィーは内心、多大な不安にかられる。
これならせめて、もう少しまともな服くらい着てくればよかった。
・・・そういえば、帽子をかぶるの忘れてた。帽子屋のくせに。


不安な想いは、緊張と化して。
ソフィーは、ちらりと隣のハウルの顔を見上げる。


すると。なんと、目がばっちりと合って。


・・・微笑まれる。


「!」
「ね」
「えっ?」
「ドキドキしない?」


金髪の前髪から除く美しい青い瞳は、明らかにソフィーだけを写している。
いたずらを思いついたような、不思議な色香を漂わせた表情で。
ソフィーだけが知っている、幼さを隠して。


「みんなが僕達を見てる」


握られていた手の力が増したような気がしたのは気のせいか・・・。
ソフィーは、どんどん顔が高揚していくのがわかる。
身体が、熱くなっていく。


「・・・あなた、綺麗ですもの。みんなあなたを見てるのよ」


それでも、唇から零れ落ちる言葉は後ろ向きで、いやみにすら聞こえてしまう嫌な言葉達ばかり。・・・ソフィーは泣きたくなった。
もう少し、気の聞いた言葉がいえないものか。

・・・けれど。
ハウルは目を細めて微笑む。
最近では滅多に見られなくなった、あの”大人の笑み”・・・というやつだ。
それにソフィーは釘付けになる。


「・・・どうかな」
「・・・え」
「君は同性ばかりを気にしすぎなんじゃない?」
「どういう・・・」
「ソフィーが当てるまで、教えてあげない」


どうして彼は自分と話すときだけ、こんなに顔を近づけてくるのだろうか。
吐息が直接唇に触れるので、緊張してしまって仕方が無い・・・それも表通りで。


この街では、帽子屋のソフィーといえば親に先立たれ必死に父の残した店を切り盛りする健気で哀れな、地味な娘・・・で定着しているのだ。
そんな、彼女が・・・である。


こんな、世にも稀なる美貌の青年を連れて堂々と通りを歩いているなんて。



・・・彼女自身が一番吃驚している。



「ねえ、あれが君の妹の店?」
「・・・、・・・ええ、・・・そうよ」
「男がいっぱい群がってる」
「・・・、・・・レティーは母さん似なの」


ハウルの素朴な意見に、ソフィーはぴしゃりと言い放つ。
・・・まるでこれ以上、ここには居たくないといったような声色だった。
彼は、そんな彼女を只じっと見つめている。
まっすぐと、そらさないで。

ソフィーは、だんだんそれが居たたまれなくなり、自分を惨めに感じた。


「・・・美人なのよ。とってもいい子だし・・・だから男の人に人気なの」
「・・・へぇ・・・」


感嘆なのか、興味が無いのか・・・どちらとも取れるような声をため息のように出し、ハウルはソフィーの手を握ったままチェザーリとは別の方向へと歩き出した。
・・・てっきり妹に興味を持って入店するであろうと予測していたソフィーの考えはものの見事に外れてしまった。


「・・・いかないの?」


正直に聞いてみる。
・・・すると。


「男が群がっててむせそう」
「・・・・・・」
「静かなところがいいな。・・・ね、ソフィーのお薦めとかない?」


・・・本気でソフィー以外に興味がないといったようなハウルの言動に、彼女は開いた口がふさがらなかった。先ほどから彼の歩く場所はソフィーの関連している場所ばかりである。まるで、彼女の軌跡をたどっているかのような。

けれど、自分のことに関してはとことん鈍感な彼女はそれに気付かない。
ハウルの要望に答えようと必死だ。


「・・・そうね・・・でも、ここは表通りだし、どこに行っても混んでるわよ」


今日は休日だし、余計ね・・・と言うが、ハウルは面白そうにあたりを見渡しているばかりで全く人の話を聞いてはいない。所謂”勝手に自己完結”というやつである。
ソフィーはため息をついた。


「・・・まあ、強いて言えば・・・」
「うん。どこ?」
「昔、少しだけ働いた店が近くにあるの」
「帽子屋を継ぐ前?」
「ええ」


母さんの言いつけで・・・とは言わないほうがよさそうだった。
何だかこの場にきてまでそんな話をしたら彼・・・というよりも自分の気分が一気に落ち込みそうな気がしたからだ・・・と考えて。

ふと。
一瞬だけ、昨日の記憶が蘇ったような気がしたが・・・。


それも、本当に一瞬だったようだ。
彼にうながされて、刹那にしてその記憶は再び彼方へと消えてしまった。










そのカフェを選んだのは失敗だったかもしれない。


先ほどハウルが”男が群がっててむせそう”と言ったものだから、ソフィーは素直に男性客が少ないカフェを選んだ。・・・つまり、女性客が多い店を選んでしまったのである。
入ってから気が付いた。・・・そして・・・その時にはもう遅かった。

あちらこちらからひそひそと、彼の美貌を目の当たりにした女性達の言葉が聞こえてくる。・・・そして、自分を比較してあれやこれやといわれている言葉も聞こえた。


・・・ああ、失敗した・・・と思っていると。


「ソフィー、ほら」
「きゃ」


突然肩を抱かれて小さく悲鳴をあげる。
・・・小さく抑えられたのが奇跡的なほど、実は相当驚いたのだ。
彼は普段、あまり彼女の身体に触れないからだ。

恋人同士となってからも、ハウルのソフィーに対する態度は驚くほど紳士的だ。

つまりソフィーは、彼に触れられることにあまり慣れていないのだ。


「立ってないで・・・食欲は?」
「・・・それなりかしら」
「素晴らしい」


何が素晴らしいのか。
わけもわからず、ソフィーは黙ってハウルの言うとおりにカフェの端あたりにある二人がけの席についた。丁度向かい合う形になる。
いつも毎朝毎昼毎晩こうして向き合って三度の食事をしているというのに、只場所が変わったというそれだけのことでこうまで緊張するものなのか。

ソフィーの心臓は、変わらずドクドクと弾けそうになっている。


・・・そして。
周りの、沢山の客達の耳がこちらにしっかり向けられていることも察した。


よりによってここはソフィーの地元だ。・・・知り合いの同年代も多い。
おまけに彼女はある意味有名人で、当然地味な意味での有名人なのだが・・・彼と一緒にこうしているという事実は彼女達にとって相当の驚きだったらしい。


それに触発され、余計に硬くなる。
・・・が。


それは彼がいつもどおりに話しかけてきたことによって、幾分かほぐされた。



「・・・昨夜の記憶、無いんだね」
「え、ええ」
「無理もないかな。・・・あんなことの後だったから」
「・・・あんな、こと?」



どうして昨夜の話になるとそこまで憂いを帯びた表情をするのか。
ソフィーには理解できなかったが・・・微笑んではいるものの、そういった表情を彼が浮かべるたびに外野の反応がざわざわと波立つのが正直邪魔で邪魔で仕方がないと感じた。なるべく、気にしないようにしたが・・・。



「今の感じはどう?」
「・・・ちょっと、脱水症状かしら。・・・喉が渇いてるわ」



すると彼は席についた途端にウェイトレスが持ってきた水を彼女へと差し出して静かに微笑む。ソフィーは、それをぎこちなく受け取り水に唇をつけ。



「・・・汗をかいたからじゃない?」
「・・・え?」
「沢山かいていたから・・・昨夜」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



外野が煩い。
・・・だが、そんなことは気にならなくなってしまっている。
汗をかいた?・・・どうして。

ソフィーの頭の中は今大混乱だ。



「他には?」
「・・・ほか?」
「違和感とか・・・ない?」



探るような言い回しと視線が気になる。
・・・が、彼の瞳はからかいでも遊びでもない。・・・ひたすら真剣な色をしている。
ならばこちらも真剣に考えて答えなければなるまい。



「・・・そうね・・・頭が痛いわ」



すると。
今度は、彼は冷気をこめた手のひらでソフィーの額にテーブル越しで触れる。
もやもやとした頭が冷まされていくようで、心地が良かった。

そうだ。
彼は彼なりに、ソフィーの体調を気にしていてくれているのだ。

それが手に取るようにわかった。



が。



「・・・泣いたからじゃない?」
「・・・は?」
「沢山泣いたじゃないか・・・昨夜」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」




しばしの沈黙。





・・・汗をかいて。
・・・泣いた?






一般の人間で、それも多少年を重ねていたとすれば、この会話はかなり危険な部類となるのであろう。現に外野はにわかに騒ぎ出した。あれやこれやと好き勝手なことばかりのたまっているのが分かるが。

ソフィーは素直に、”ああ、随分とパワフルに暴れちゃったのかしら・・・”とまた不安になったりしている。・・・他の同年代の少女達と大分論点がずれている。



「・・・私、昨夜お酒でも飲んだの?」
「酒?」
「そうよ。だってこんなに喉が渇いて頭がいたくって・・・それに泣いただなんて。まるでよっぱらいじゃない。きっと葡萄酒をジュースと間違って飲んじゃったんだわ・・・ごめんねハウル、迷惑かけちゃったみたいで・・・」



と、一人で納得しているソフィーを”信じられない”といったような目で見る外野と、困ったように、それでも微笑を浮かべて優しくみつめるハウル。
この差は、明らかに俗物的な感覚で物を見る態度と、純粋に思ったことを素直に告げる態度であろう。・・・もちろん、後者がハウルである。



「・・・そうじゃないんだけどね」
「・・・違うの?」
「全然違うよ。ソフィーは酔ってなかったし、酒だって飲んでない」
「・・・それじゃあ・・・一体昨夜、何があったの?」



どうやらソフィーも、すっかり外野のことを忘れてしまったようだ。
ハウルと会話していると、どうも周りが見えなくなってきてしまっている。



「・・・やっぱり、思い出せないんだね」
「・・・、・・・ごめんなさい・・・」
「いや、謝る必要はないよ。・・・ないけど・・・」



と、言って。
また、あの”大人の笑み”を浮かべる。
金髪のさらりとした前髪が滑り、その動きがゆっくりとしていてどきりとした。
彼の一挙一動は全て無意識の上だが・・・その無意識が余計に怖いと感じた。

そんな彼の全てが、女性を虜にしてしまうのだ。
その不思議な色香と魅力と、類稀なる美貌で。



「・・・残念だな。・・・昨夜の君はとても綺麗だったのに」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はっ?」



飾らずとも、輝くその青い瞳で。



「普段は絶対にしないのに。・・・僕を求めてくれて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



決して嘘ではない、真実だけの言葉で。



「嬉しかったよ。・・・とても」







ああ。




全く覚えがないけれど。





今にも、失神してしまいそうになった。