ジギタリス
ソフィーはこうやってハウルと共に街を歩くことで、自分たちがいかにまともな会話を為していなかったのかを思い知ることになった。 ハウルは王室からの難は逃れたものの、相も変わらずに魔法の仕事を続けている。 ソフィーはといえば、ひたすら家事に専念し、育児(と称せばマルクルは本気で怒り出すに違いない)やら介護やらで大忙しだ。 それだけを聞いていると、本当の家族である。 しかし問題点はといえば、ソフィーとハウルは結婚はおろか、お互いに強く思いあっていることは認識しつつもあまり恋人らしい恋人同士とは言えない。 戦争が終結への道をたどるとき、世界は一度大きく壊れることになる・・・とハウルがぽそりといつであったか呟いたのをソフィーは今でもしっかりと覚えている。 相反する二つの存在がわかりあうには、多大な犠牲が生まれてしまうのだ、それの最悪の事態が戦争という名の現象なのだと・・・。 実際に。 ソフィーはあらゆる意味で家族を失った。 父親も。 生きているのに、母親も。 そして、そのせいでまともにレティーの顔を見る勇気もなくなってしまった。 ・・・意気地なし。 レティーは本当に自分をいつも心配してくれる。 しっかりもので、曲がったことが大嫌いな・・・そう、言ってしまえば女の鏡だ。 それなのに自分は一体何なのか。 些細なことで嫉妬して、そのくせこそこそと隠れるようにして。 ・・・嫌いだ。 ・・・こんな自分。・・・大嫌いだ。 ・・・と。 ちょっと待っていて・・・とハウルは耳元で囁いて空へと飛び立ってまだ戻らない。 ・・・まだ、と言っても全く時間は過ぎ去っていない。 一瞬のうちに様々な自己嫌悪の台詞を並び立てるのは悲しい得意技だ。 町並みは戦争の余波で大分変わり果てていた。 以前のような華やかさはなく、どこか寂れてはいるが・・・皮肉なことに人間の匂いがするようになった、とソフィーは感じる。 浮かれていた、戦争という事実をまるで絵空事のように描き続けていたあの時と決定的に違うのは、その実体を目の当たりにしたからであろう。 人間は、痛みを知らなければ人に痛みを知らぬうちに与えるという。 それは善悪の区別がおぼつかない幼児のようなものだった。 実際に人間はこうやって痛みを与えられなければ、目覚めることもできない。 ソフィーも、老婆になってしまうという呪い・・・そういった痛みを経てあらゆるものを失い、そしてそれ以上のものを手に入れた。 だから彼女は、何も責めることはできない。 表通りの道端。 丁度建物の日陰になっている場所で、ソフィーはレンガ造りの壁に背中を預け通り過ぎる人々や、車、そして時折空を眺める。 彼女だけを取り残して、時間だけが過ぎていく。 さらさらさらと。 急に心細くなって。 ・・・何故、今日の自分はここまで弱ってしまっているのかを考える。 きっと昨夜のハウルとの出来事とやらが関係しているに違いないというのは彼女が唯一見出せた真実だった・・・が、彼ははっきりとは語ってくれない。 今日も絶対に聞き出そうと意気込んでいたのに・・・。 何故、昨夜の話を持ち出すと彼はあんなに憂いた瞳をするのだろうか。 何故、自分は昨夜の記憶がないのだろうか。 何故、母は。 ・・・、・・・は、・・・、・・・・・・・・・・? ・・・・・・・・・・・・・、・・・・・っ、・・・・・・・あ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!! ソフィーは驚愕に目を見開き、自身の口元を両手で覆った。 あまりにもの驚きに、手が小刻みに震えている。 急に・・・、怖く、なった。 何もない日常が。 憎らしいくらいに真っ青な、あの空が。 全ての中に、何かが潜んでいるような気がして。 思わず、がくんと膝を折る。 ・・・と。 たん、と軽い乾いた音が背後で鳴り、ソフィーは反射的に振り返る。 そこには片手に変わった形の花を2輪手にしたハウルが立っている。 彼は穏やかに微笑んでいた。 「・・・うん、上出来!予定時間ぴったりの4分」 外見と言葉が全く一致しない彼の言動。 この一言で彼女は、ハウルが”4分で戻ってくる”と言って飛び立っていったことを思い出した。本当にその通りに帰ってこようと頑張っていたのかもしれない。 「ごめん、こっちは僕の試用魔法で使うやつでね。・・・こっちが、花畑に新しい種類増やそうかなーって思って」 「・・・・・・」 不思議だ。 先ほどまで弓のようにつっぱって張り詰めていた自分の空気が、彼の顔と彼から為される言葉を心に少しだけ浴びただけなのに・・・一気に緩んでいく。 そんなソフィーには気付いていないのか、ハウルは構わず話を続ける。 「狐の手袋って名前の花なんだよ。・・・変わってるだろ?」 「・・・可愛い名前ね」 心の中が、ぐしゃぐしゃだった。 それでもハウルにはなんとなく今の自分の心情を悟られたくはなくて、どうにか彼の会話についていこうと必死だ。何とか微笑んでみせたりもした。 ・・・けれど、その花の名前は本当に変わっている、と思ったのは事実だ。 ソフィーは無意識のうちに、花に手を伸ばそうとして・・・ なんと、それをハウルに拒否された。 「おっと、危ない!・・・こいつ、なりはこんなだけど劇薬に使う薬草でね」 「・・・え・・・」 予想外の事実に、ソフィーの意識が少しだけ正常になった。 劇薬、と聞いて平然でいられるほどまでにはボケてはいないようで安心した。 「花畑に増やすときは魔法で毒を抜いてからにしようと思って。・・・間違ってもあそこ以外でこの花みかけても触らないようにね」 「え、ええ・・・」 ところでハウルの試用魔法って・・・そんな劇薬使ってなにする気なの・・・? ・・・とまでは聞かないほうがよさそうである。 「・・・さあ!そろそろ帰ろうか」 「ええ」 笑みを浮かべてソフィーの手を自然と引く彼。 ここからまたこうして手をつないで、自分の帽子屋の近くへ行くのだろうか。 あらゆる視線をかいくぐり・・・否。 反射させながら。 彼が握っている自分の手が、灯火のように暖かい。 いつのまにか小刻みな震えも消え、心も大分落ち着きを取り戻している。 ・・・相手が魔法使いだというのがいけない。 ハウルは全てを察して魔法で自分をこんなに安堵させているのか。 はたまた自分がハウルに対して勝手に感情をめぐらせているだけなのか。 「・・・身体の具合はどう?」 「えっ」 そして突然、考えを見透かしたかのような言葉。 ・・・ハウルは未来を最初から分かっていてもそんな素振りをみせないような男だ。 初めて出会った時もそうだったのかもしれない。 だって彼は彼が子どもの頃から自分のことを知っていたのだから。 ・・・ソフィーはそれを、彼と出逢って大分時間が経ってから知る事となったのだから。 でも。 自分の異変を知れば彼はどうするのか。 刹那。 自分を守るために怪鳥と化し、たった一人で大量の戦艦を相手に戦った彼を思い出し・・・全身が凍りついたような思いがした。 ・・・悟られては駄目。 ソフィーは自然と心の中で呟いた。 正体不明のこの”状態”。 自分ですら分からないのに、彼にどう説明しろというのか。 自分で何も挑戦せずに、彼に縋ってそれでいいのか。 そんなことは、できない。 ・・・しては、いけない。 ソフィーは、呼吸を一つ飲む。 そして、俯いていた顔を上げ。 にこりと、笑ってみせる。 「私?・・・私は元気よ!今すぐ帰って大掃除ができちゃいそうなくらい!」 さあ、帰りましょう!・・・と。 彼女が勢い良く見上げたハウルの顔は微笑んでいた。 ソフィーにしか見せない、誰も見たこともないような優しい微笑みだ。 けれど。 「・・・ねえソフィー」 ・・・その、瞳は。 「え・・・?」 彼女を、見つめて。 「きみにとって・・・僕は」 握った手を、次第に・・・それでも確実に力を込めていく彼の。 その、青い瞳は。 「・・・誰なんだい?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 明らかに。 悲しみの、色。 慈しみの、色。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・激情の、色。 |