いつか、不思議の世界で −3− |
カタカタカタ 窓が、風にあおられて音を立てている。 なんだか、少し肌寒い気もして。 外、風強いのかなぁ……… 千尋は、そんなことを考えながら薄っすらを閉じていた目を開けた。 ぼんやりと、天井の灯りが見えて。 視線をゆっくりと横へ動かす。 すると。 「気がついたかい?千尋……」 「………ハク?」 そこには、自分を心配そうに見つめるハクが居て。 今だハッキリとしない思考のまま、千尋はポツリと呟いた。 「あれ?私……どうしたんだっけ?」 不思議そうな顔をしている千尋を見ながら、ハクは優しく千尋の頭を撫でた。 そうしてから、翡翠色の瞳を細めてみせる。 「廊下で転んで気を失ったんだよ。……痛むところは無いかい?」 そんなハクの言葉を聞いて、千尋は途切れ途切れだが先ほど自分が廊下の水溜りで滑って思いっきり転んだことを、少しずつ思い出した。 そういえば、頭が少しズキズキする。 心なしか、身体中にも微かに鈍い痛みが残って。 しかし起きられない程でもなく、千尋はゆっくりと身体を起こした。 「……ごめんね。私、またハクに迷惑かけちゃった……」 そういいながら、千尋はゆっくりと目を伏せてみせた。 すると、そんな千尋の様子にハクは微かに驚いた表情をしてみせてから優しく微笑んで。 そっと、千尋の頬へと手を伸ばす。 「……迷惑なんかじゃないよ。千尋が無事でよかった」 そんなハクの表情と言葉に、千尋は申し訳ないと言った様子を浮かべながらも、嬉しそうに、そして照れくさそうに笑ってみせた。 ――――あぁ。やっぱり。 やっぱりこの世界に、不思議の世界に来てよかった。 『ハクが元の世界へ帰れるまでの奉公の期間』 それがいつまでかなんて分からない。 あても、何もないけれど。 でも、ハクとなら。 ハクと一緒なら乗り越えられそうな気がする。 それに、どんなに仕事が辛くても。 向こうの世界には、両親や友達が居ても。 こんなに幸せな気持ちにさせてくれる人が。 「ハク」が―――――――ここには居るから。 ハクが居るから、私は頑張れる。 千尋は自分の中で何か温かいものが生まれたような感じがして、小さく微笑んでみせた。 本当に、幸せそうに。 と、その時。 ふとハクが、今までとは違う表情を微かに浮かべた。 「ハク……?」 悲しそうで。 そして、苦しそうで。 そんな瞳で千尋を見つめてくるのだ。 今まで。この二週間の間、ハクのそんな表情は見たことがなく。 千尋は何故だか大きな不安にかられて、とっさに布団から離れ身体をハクの方へと乗り出した。 「ハ……」 「千尋」 しかし、そんな千尋の呼びかけもハクの言葉で制されて。 千尋は無言のまま、ハクの言葉を待つしか出来なかったのだった。 そして、しばらくの沈黙の後。 ハクが、ゆっくりと口を開いた。 微かに、視線を伏せながら。 「千尋……そなたはやはり、戻った方がいい。もとの……ご両親のいる世界へ」 カタカタと、窓が風であおられて。 ハクの言葉をかき消す様に、部屋中に響き渡る。 ―――今。 今、ハクは何て言ったの? ハクの言葉の意味が、よく理解できない。 頭の中が、真っ白になる。 でも。 でも確かに。 確かに今、ハクは――――――――― 次の瞬間。 千尋は、無言のまま勢いよく立ち上がった。 そしてそのまま、部屋の出口へと向かって歩き出す。 「千尋?!」 そんな千尋を引きとめようと、ハクは腕を掴もうとしたが。 そんなハクの手を、千尋は思いっきり振りほどいた。 「……ハクのばかっ!!」 泣きそうな声で、呟く。 微かに、吸う息も震えて。 「ハクなんか……っハクなんか大っ嫌い!!」 そんな千尋の言葉にハクは驚き、そして悲しそうな複雑な表情を見せた。 しかし千尋は、そんなハクに構う事無く部屋から飛び出して。 振り向くことなく――――――――誰もいない廊下を走りぬけ、油屋の外に出たのだった。 |