立ち待ち
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 大通りへと駆け出して、およそ10分。


 目的の場所に着いたソフィーは、中腰の状態で膝に手をつきつつ、はぁはぁと息をきらせながら呼吸を整える。

 そして顔にかかってしまった銀色の髪を、耳へとかけた。


 一度大きく息を吐き出してから、体勢を元に戻す。

 少しだけずれてしまった帽子を、しっかりとかぶりなおして。


 「ヒーーーン!」

 
 とりあえず、呼んでみる。

 しかし、なんの反応も返ってこない。


 続いて心当たりのある、例の裏路地の段差の所へと近づく。

 そして、辺りを見渡した。


 すると。


 「ヒン!!」


 見るとヒンは、路地の端に無造作に突き出た一本の金棒に繋がれていた。

  
 ソフィーを見つけた途端、ヒンは短い尻尾をちぎれんばかりに降り続けて。

 そして、今にもこちらに来たそうに鼻を鳴らしている。


 「ヒン……っ!!」


 あわててソフィーは、ヒンの首もとに繋がれたボロボロのロープを解いてやる。

 誰かの手で結んだことは、火を見るより明らかで。


 ようやくロープから開放されたヒンは、ソフィーの胸元に飛びついてきた。

 ソフィーはしゃがみこんで、優しく抱きとめる。


 「ごめんね、ヒン………」


 それからしばらく背中を撫でてやる。


 5分ほどたって。


 ようやく興奮状態が落ち着いたのか、ヒンは規則正しい呼吸を取り戻し始めた。

 そのことに、安堵の溜息をつきつつ、ソフィーは金棒の方へと視線を伸ばす。

 この金棒。これはきっと、ついこの間までの戦争の名残だろう。

 
 「一体、誰がこんなこと……」 


 そう言葉にした途端、ようやく落ち着いたと思っていたヒンが、また突然暴れだした。

 驚いたソフィーは、ヒンの顔を覗き込む。


 「ど…っどうしたの、ヒン」


 ソフィーに抱かれているヒンの視線は、ソフィーの背後へと伸びており。

  
 「………?」


 ソフィーは無意識に、ヒンの向いている方向とは逆の、夕焼けで自分の目の前に長く伸びているだろう黒い影へと視線を移した。


 しゃがみこんでいる自分と。

 それに重なっている、ヒンの姿。


 それと。 

 もう一つ、人の影。


 「え………?」


 ソフィーは、明らかに自分の背後にいるのだろうその影の人物を確かめるべく、ゆっくりと振り向いたのだった。


 






 「……ソフィー、遅いなぁ」


 ポツリ、と呟いたのはマルクルである。

 カルシファー薪をくべてやりながら、時計を見る。


 見ると、針はすでに4時半をさしていた。

 
 窓からは、先ほどよりも傾きかけた陽の光が差し込んで。

 橙色の光が部屋の中を淡く照らす。

  
 「…………」

 
 黙ってはいたが、正直ハウルもマルクルの意見には大賛成だった。


 ソフィーが家を出てから、早4時間半。

 ハウルは時計へと視線を向けつつ、無言で時間を逆算していく。


 カフェ・チェザーリへの道のり。

 汽車に乗って、だいたい往復で1時間ちょっとというところだろうか。


 それに、レティーはチェザーリの看板娘である。

 ソフィーが訪ねてきたとしても、仕事の合間をぬってせいぜい話せる時間は30分かそこらだろう。


 合計して、かかる時間はだいたい2時間。


 どこかで買い物をしていたとしても、この時間は遅すぎる。

 それにソフィーは、どこに出かけたにしても、いつも4時までには家に帰ってきた。


 そして万が一遅くなるような時は、必ず一言伝言を残していく。

 みんなを、心配させないために。


 しかし、マルクルから聞いたソフィーからの伝言。

 それは『そんなに遅くはならないから』というもので。


 ハウルは、あれからあまりページの進んでいない本を机の上に置いた。

 そして、椅子にかけてあった上着を手に取る。


 すると、そんなハウルの様子を見たマルクルは、何かを察知したかのように、自分の紺色のハットフードを持ってきた。

 それを頭からかぶり、魔法で厚いヒゲをはやす。


 そんな準備万端といわんばかりのマルクルに、ハウルは思わず苦笑いをして。

 それから、マルクルの頭に軽く手をのせる。
 

 「マルクルは家で待っていなさい。何かあったら困るから」


 そんなハウルの言葉に、明らかにマルクルの表情が曇る。

 そして、ハウルに小さく呟いた。


 「わしは……ソフィーが心配なんじゃ」


 無理に声音を低くしている声が、ますます低くなる。

 するとハウルは、そんなマルクルの気持ちを察するかのように2、3度頭を撫でてやる。

 そして、微笑んだ。


 「ソフィーのことは大丈夫だよ。心配しないで待っていなさい」


 すると、マルクルは唇を硬く結んだまましばらくハウルの顔を見て。

 やがて、小さく頷いた。


 続いて、もそもそとハットフードを脱ぎはじめる。
 

 「いい子だ」


 そう言って、ハウルは袖は通さず肩からかける状態で上着をはおった。

 そして、扉の色を変えて外へと出る。


 日の高さは地上から30度。

 あと1時間もすれば、空は徐々に暗くなり初め。



 立ち待ち―――――――――夜になるだろう。