時間の呪文
−14−






 『はっきり言ってあいつの目は嫌いだね。まるで死んだような目をしてた』


 以前、カルシファーが言っていた言葉。

 
 ルーイのことを。

 死んだような目をしてた、と。


 あの時は、カルシファーが何を言っているのか分らなかったけれど。

 今なら分かる。


 きっと。

 ううん、絶対。


 ルーイも以前のハウルとカルシファーと同じように、契約を―――――――


 
 「ルーイ…、心臓……どうして」


 消え入りそうな声で、呟く。


 するとルーイは、ふとソフィーから目をそらした。

 かと思うと、今までソフィーに触れていた手をそっと離す。


 「ソフィーには分らなくていいことだよ」


 そんなルーイの小さな呟きに、ソフィーはズキリと胸が痛んだような気がした。


 ソフィーには、僕は救えない。

 関係ない。


 そう、はっきりと言われたような気がして。


 「ルー……」


 苦し紛れもあってか、ソフィーは言葉を何とか紡ごうとした。

 しかし、うまく言葉が続けられずに。


 胸元の指輪が、そんなソフィーを急かすかのように、ゆらゆらと揺れる。

 
 …………。

 ………………。 


 しばらくの沈黙のあと。

 はじめに口を開いたのは、ルーイだった。


 まるで拉致があかないとでも思ったのだろうか、小さく吐息をついて。

 冷たく、目を伏せる。

 
 「……ソフィー。さっき言っていたよね。僕にかかってる呪いは何かって」 
 

 低い、声。

 子供の頃とは違う「男の人」の、声。

 
 「言ったよね。僕にかかっている呪いを、解きたいって」


 それは、ソフィーの脳裏にやけに響いて。


 「じゃあ、聞くけど」


 目を、つぶりたくなる。


 「………ソフィー、君は本当に僕を救えるの?」


 本当に、救ってくれるの?


 そう言って、ルーイは自虐的とも取れる笑みを小さく浮かべた。
 

 「……………」 


 一瞬、返答に詰まる。


 呪いを解く?

 ルーイを救う?


 前に、ハウルの心臓を私が戻した時のように?   


 ほんの数秒の間に、ソフィーの頭の中では過去の記憶がグルグルと回っていた。

 
 どうやったっけ?

 どんな風にやるんだっけ?


 カルシファーに想いを込めて。

 ハウルの心臓に手をあてて。

 
 えっと。

 だから。


 ……………。


 「と……解けるわ!」  


 色々と考えて。

 何とかなるだろうという結果にたどりついたのか、ソフィーは少々上ずった声で返答した。

 
 しかし。

 そんなソフィーとは裏腹に、ルーイは「ふぅん」と眉を潜めて。

 クスクスと、笑い出した。


 「解くって?呪いを解いて、僕の心臓をもとに戻すってことかい?」


 そして、ルーイは自分の左胸に手をあてた。

 何の音もしない、からっぽの身体。


 「やっぱりソフィーには、本当の意味で僕は救えない」   

 「どうして…っ」
 

 思わず、声を上げる。

 
 それもそのはず。

 ソフィーにとったら、先ほどの言葉は、ちょっとした一大決心だったのだ。

 
 どうやったら呪いが解けるのか。

 どんな条件がそろえば出来るのか。


 本当にあの時は無我夢中だったものだから、はっきり言って方法なんてさっぱりなのだ。


 それに、前回は相手が「ハウル」だったのだ。


 大好きな、ハウルだから。

 想いも感情も全部ひっくるめて、心から守りたいと思ったハウルだから。 


 だから。
 
 根拠もなにもないけれど、呪いを解くことが出来たような気がするのだ。


 しかし。

 相手がルーイとなると、話は別である。

 
 そしてそれが、理屈でどうにかなるものでも無いから尚更に。


 だからこそ、先ほどの質問に答えるのには、それなりの覚悟が必要だったわけで。

 それなのに。


 するとルーイは、そんなソフィーを横目に静かに息を吐いた。

 風が出てきたのだろう、ルーイの髪を静かに揺らして。

 
 「……ソフィー。どうやってハウルさんの呪いを解いたのかは分からないけど、正直僕は自分の呪いの解き方なんかには興味はないんだ」


 呪いなんて、解けなくてもいいんだ。


 ―――――――――。


 一瞬。

 本当に一瞬だが、ソフィーはルーイが何を言っているのか分からなかった。

 
 言葉の意図が、分からなかったのだ。


 「何を…言ってるの?」
 

 何とかごちゃごちゃになった頭を動かして、先ほどの言葉の数々を思い起こしてみる。


 本当の意味で?

 ルーイを救う?


 自分の呪いの解き方には、興味がない?


 呪いを解く=ルーイを救う、ではないのか。


 「……ソフィーには、無理だよ」

 
 頭の中で、答えの糸口が見つからないまま。

 そんなソフィーに、ガツンと。
 
 確信をつかれたかのような、そんな音。


 役立たず。

 まるで、そう言われているような気さえしてきて。


 「そんなこと……っ」


 そんなルーイの言葉を否定しようと口を開くが。


 なぜだろう。

 この後の言葉が、続かない。


 言葉が、出てこない。


 「……………」


 するとルーイは静かに目をふせて。

 そのまま、ソフィーの頭に左手をのせた。


 かと思うと優しく、本当に優しく頭をなで始めた。

 まるで壊れ物に触るかのように、ゆっくりと。 


 ―――――――――。


 もう、何がなんだかさっぱり分からない。


 ルーイが何を考えているのか。

 自分が、何をすればいいのか。 


 しかし。

 そんなルーイの手は、昔のことを思い出させるかのように。


 小さかった意気地なしのソフィーと。

 そんな彼女を優しく助けてくれた、小さなルーイ。


 昔の、二人。

 昔の、まんま。


 それは何も変わらずに。


 唯一変わったことといえば、ルーイの手の平の冷たさと、時折見せる悲しげな黒の双眸くらいか。

 その双眸は、時には氷のように冷たくさえ感じて。


 「……………」


 じわり、と。


 何故かソフィーは、突然目に涙が浮かんできたのを感じた。

 
 悲しいのか、寂しいのか。

 何も出来ない自分が悔しいのか。


 理由なんて、自分でもさっぱり分からない。

 分からないのに、じわじわと視界が歪んでくるのだ。


 うぅ〜〜〜………。


 ソフィーは涙がこぼれないように、何とか耐えてみせた。

 ぐぐっと、拳を強く握って。
 そう。

 泣くわけにはいかないのだ。


 ここで泣いたら、自分が本当にただの役立たずのように思えてきたのだ。


 頭に感じる、ひんやりとしたルーイの手。

 それはまるで、血が通っていないような錯覚を起こさせるほどで。


 「………私、助けたい。ルーイの手に、昔と同じ温かさを取り戻したい」


 だから。


 そんなソフィーの言葉に、ルーイは微かに目を細めて。

 音も無く、息を吐く。


 「……ソフィー。僕はもう、昔の僕じゃない。悪魔に心を売ってしまったから。だから……」 


 頭を撫でていた手が、止まる。


 「だから、人の心は、もう持ち合わせてはいないんだよ」

 「そんなこと……っ」


 しかし。

 そんなソフィーに言葉を遮るかのように、頭の上にあるルーイの左手に少し力が入り。

 そのまま、ルーイはゆっくりと目を閉じた。


 「………やっぱり君は、残酷だ」


 そして、微笑む。

 苦しそうに、それでいて愛しそうに。


 そしてそのまま、踵を返した。

 ソフィーの頭から、音もなくルーイの手が離れて。


 そのまま、ソフィーに背中を向けゆっくりと歩き出す。


 「ルーイ!」 


 叫ぶが、ルーイは歩みを止めようとはせずに。

 振り返る、仕草もみせない。


 「……じゃあ、どうして助けたの?」


 姿が、次第に遠くなり。 

 歩く音も、遠くなる。


 「どうしてさっき、私を助けてくれたの?」


 遠く。

 遠く。


 「それは…あなたが……」


 風の音だけは、近く。


 「あなたが……まだ人の心を持っているからじゃないの……っ?」

 
 その時、微かにだがルーイの背中が反応したように見えたのは気のせいだろうか。

 しかしソフィーの方は、一度も振り返ることはなく。

 
 「ルーイ……!!」


 そんなルーイの背中を見ながら、ソフィーはただただ両手を強く握り締めることしか出来なかったのだ。





 空はいつしか雲がかかって。

 太陽の光を、遮る。


 まるで、ソフィーの心に影を落とすかのように。