時間の呪文 −15− |
一方、その頃。 ハウルはある建物の中にいた。 王宮の後方に隣接する形で、まるで表通りからは見えないように建っている建物。 魔法学校である。 そこの一角。 書庫へと続く廊下を、ハウルは歩いていた。 もちろん今日は休校日ではない。 したがって、何人かの生徒とすれ違ったような気がするが、特に気に止める様子もなくハウルは足を進めた。 淡い赤の絨毯に、コンクリート造りの壁。 所々に飾られている、何らかの魔法に関係しているのだろう肖像画やら壷の数々。 そして、全体的にまるで外界から遮断されているかのような、雰囲気。 ハウルは小さく溜息をついた。 そして、淡青の双眸を冷ややかに細める。 「……………」 相変わらず、ここの空気は好きじゃない。 いつきても、変わることのない独特の雰囲気。 重苦しい、空気。 昔から変わることのない、小さな世界。 ふと、先ほどからすれ違っている何人かの生徒がヒソヒソとこちらを向いて口を開いてるのに気がついた。 しかし、ハウルは特に目線を向けることもなく、足を進める。 |
「……………」 はっきり言って、ハウルは魔法学校では有名人だった。 サリマン直々の弟子だったということもあるのだが、決してそれだけではない。 そう。 この魔法学校では一番に注目されるのが、その人物の持っている「魔法力」。 優秀と。 無能。 この、たった2つ。 そして、ハウルは明らかに前者だった。 しかも、ただの優秀ではない。 近年まれに見ないほどの、逸材なのだ。 が、故に。 卒業して大分たっているのにも関わらず、ハウルは相変わらずこの魔法学校では有名人なのである。 しかも一年前の戦争云々によって益々知名度は上がり、今では知らない人の方が少ないと言ってもいいほどである。 ふぅ、と息を吐く。 耳元のピアスが、足を進めるたびに微かに音を鳴らして。 それが、異様に耳につく。 そんな中、ハウルはある部屋の前で足を止めた。 重い、銅作りの扉。 書庫である。 その扉に、そっと手をかけて押してやる。 目の前に、それなりに広く薄暗い部屋が広がった。 あまり換気をしていないのだろう、少々埃っぽい感じがする。 そんな、肺にムッとくるような空気を振り払いながら、ハウルは迷うことなく奥の方へと足を向けた。 古い木製の本棚。 そこに綺麗に並んでいる、赤紫の背表紙。 そこには、魔法学校特有の文字で「卒業名簿」と記されていた。 その中から2,3冊を手に取ってパラパラとめくる。 僅かに入ってくる日の光りを頼りに、ハウルはそれらに目を通す。 「……………」 卒業名簿と言っても、名前と顔写真。 授業で取っていた、習得魔法科目。 それと―――――――――遠まわしではあるが、その人物のだいたいの成績と学校での態度。 それぐらいしか載ってはいないのだが。 それでも。 ハウルは少しでもルーイの情報を得たかったのである。 ぱらり、と。 名簿をゆっくりとめくる。 一枚、一枚。 ふと。 半分ほどまでめくっただろうか、ハウルは手を止めた。 そこには。 黒い双眸をした、真面目そうな一人の青年の顔写真。 「…………ルーイ」 無意識に、ハウルの口からその名前が漏れた。 そのページに、ゆっくりと目を通す。 卒業名簿を見る限りでは、特に目立った生徒ではなさそうだ。 普通に授業を受けて、普通に単位を取って。 そんな普通の、在り来たりの生徒のうちの一人。 「……………」 ふと、ハウルは名簿の視線を落としながら目を細めてみせた。 微かに、眉を潜める。 そう。 名簿で見る限り、ルーイは至って「普通」の生徒なのだ。 「普通」すぎるのだ。 正直、ハウルは先日家に訪ねてきたルーイから、明らかに「普通」以上の何かを感じていた。 たかが何年か修行したくらいでは、身につくはずのない力。 確かにルーイから感じる、莫大な魔法力。 もし、在学中にそんな魔法力があったとすれば、間違いなく卒業名簿に何らかの形で反映してくる。 しかし、それが無いということは。 卒業してから、ルーイの身に魔法力を増幅させる何かが起こったか。 あるいは――――――――― と、その時。 「ハウル先輩?」 ふと入口の方から、小さな声で自分の名前を呼ばれたのを感じた。 かと思うと、魔法学校の制服に身を包んだ一人の生徒がゆっくりと近づいてきて。 仕方なくハウルは、卒業名簿から顔を微かに上げた。 と同時に、声のした方へと視線を伸ばす。 「あぁ、やっぱりハウル先輩だ!」 視線の先には、まだあどけなさ残る赤茶の髪をした少年が一人立っていて。 ニコニコと、満々の笑顔を向けてくる。 ………正直言って、全く見たことのない顔である。 しかしそれもそのはず。 ハウルが魔法学校を卒業したのは大分前の話なので、ハウルがまだ学校に居た頃、この少年はまだこの学校には入学していなかっただろう。 よって、面識はない。 しかし、ハウルは有名が故に、向こうは知っているのだろう。 「……………」 ハウルは特に言葉を発することもなく、視線を卒業名簿へと戻した。 すると、その生徒はハウルへとゆっくりと近づいてきて。 「あれ?ルーイ先輩じゃないですか」 と、あっさり答える。 そんな少年の言葉に、ハウルは弾かれるように視線を向けた。 あまりに予想外の所からルーイの名前が出てきたものだから、2・3度瞬きをして。 「……ルーイを知ってるのかい?」 思わず、そう口にする。 するとその少年は、赤茶の髪を揺らしながらキョトンとした表情で答え始める。 「えぇ、この学校は生徒の人数が対して多くないですから。ルーイ先輩は僕の3つ上の先輩だったんですが、よく覚えてます。おとなしくて、あまり目立った噂のない方でしたよ」 しん、とした書庫の沈黙を破るかのように、少年の声がやけに響いて。 それが、少年の言葉一つ一つに現実味を与える。 「あぁ、でもあの一件の時だけは、初めてあんな怖いルーイ先輩を見ましたね」 「あの一件?」 あれ?知らないんですか? と、その少年は、何やらカバンの中をゴソゴソと探り始めた。 かと思うと、一冊の分厚い手帳を取り出して。 「ルーイ先輩の彼女、前の戦争で亡くなったって話ですよ。その直後に、ルーイ先輩は王宮を辞めたんです」 喋り続けながら、その手帳をパラパラとめくり始める。 「一度だけルーイ先輩の彼女が学校に来て、みんなで写真をとったことがあるんですよ。………と、あったあった」 少年は、手帳の間に挟まっていたのだろう写真を一枚差し出した。 その写真を、ハウルは無言で受け取って。 目を、通す。 「……………!」 途端。 ハウルの頭の中で、何かが大きく弾け飛んだ様な気がした。 「ハウル先輩?」 そんな、明らかに様子の変わったハウルを不思議に思ったのか、少年が小さく呼びかける。 しかしそれに答えることもなく、ハウルは写真から目を逸らさずに。 そう。 その写真に写っているルーイの隣で笑う女性は、ハウルがいつも見ている人物に似ていたのだ。 腰までの、赤錆色の髪。 茶の、双眸。 優しい、笑顔。 よくよく見れば、違うような気もするが。 しかし、それでもそっくりなのだ。 雰囲気。 身なりが。 彼女に。 「ソフィー……」 今は銀色の髪をした、自分の愛する人物に。 |