時間の呪文 −18− |
『あの子は、悪魔に心を売ってしまったのです』 そんなサリマンの声が、まだ脳裏から消えずに。 ハウルは王宮の出口へと向けて歩いていた。 以前、動く城に訪ねてきたルーイ。 どこか力無い雰囲気。 生気の失せた顔色。 そして、それに反するかのように増長している魔法力。 ハウルの感じた限りでは、すでにルーイはだいぶ悪魔に心を奪われかけているだろう。 そう。 心臓無きものが魔法を使うと、その代償として自分の感情が奪われていく。 ただ、生きるだけの強大な力を持った魔王となる。 まるで、あの時の自分のように。 あのときの。 自分。 「……………」 ふとハウルは王宮の入口まで来て立ち止まった。 何かが頭の隅に引っかかる。 それが脳裏で浮き沈みするものの、何かまでは分からずに。 ふぅ、と息をつく。 ふと目を伸ばすと、眼下には長い下り階段と見事なまでの城下町。 気がつけば空は曇り今にも雨が降り出しそうで、町を歩く人たちが心なしか足早になる。 そんな、日常的な光景。 そんな、平和な日々。 平和な。 日々。 「……………!」 と、そこまで考えて、ハウルの脳裏で何かが音を立てて弾けたような気がした。 そう。 そうなのだ。 心臓という代償のもと、悪魔と契約をした上で手に入れた魔法力。 その力を、ハウルは戦争という馬鹿げた争いを失くそうと。 そして何より、ようやく目の前に現れた、守らなければいけない人の為に。 その為に使ってきた。 たとえ、徐々に自分の心と身体が蝕れていくのを感じていたとしても。 じゃあ、ルーイは? ルーイは一体、何に魔法を使っているのか。 もう戦争も終わり。 大切な人も、もうこの世にはいないと言っていた。 それならば、悪魔と契約をしてまで力を手に入れることに、一体何の意義があったのか。 何のために、力を手にいれたのか。 ふと、ハウルの脳裏に先ほどの写真が蘇る。 優しく微笑む女性。 それは、本当にソフィーに似ていて。 何故か、胸のざわつきを覚える。 「……………」 はっきり言って、ハウルはあまり他人に興味は無い。 正直、ルーイの考えていることなど分からない。 分かりたくもないが。 でも、それがソフィーに関係してくることとなれば、話は別だ。 幼馴染。 前にソフィーはそう言っていたけれど、本当にそれだけなのか。 それに、ソフィーはそう思っていたとしても。 ルーイの方は、そう思っているとは限らない。 それに――――――――― と。そこまで考えて、ハウルは思わず我に返る。 そして、自嘲気味に小さく笑ってみせた。 自分がこんなに度量の狭い人間だったなんて、知らなかった。 嫉妬。 独占浴。 どちらも、ソフィーが自分の傍にいるようになってから沸いてきたもので。 心臓を取り戻してからというもの、その思いは益々強くなる。 それだけ、ソフィーという存在が自分の中で欠かせないものになっているのだと自覚する。 「……………」 きっとソフィーのことだから、今回の事に関しても首を突っ込みたがるだろう。 後先考えずに走り出して。 自分のことよりも、他人のことを心配して。 ルーイを、助けるために。 そんな、心優しき少女。 そんな、愛しき存在。 でも。 やはり今回のこととなると、話は別だ。 悪魔と契約をするということを、ソフィーは何も分かっていない。 そして、その契約した者を助けるという事の重大さも。 強い魔法には、何かしら代償はつきものだ。 それは、魔法界においては絶対で。 ソフィーも、以前ハウルを助けるために失ったものがある。 それが、髪の色。 今では戻ることのない、銀色の髪。 しかし、あの時はそれで済んだけれど。 もしかしたら、他のものだったということも充分ありえるのだ。 目。耳。口。 内臓に、感情。 何だって、ありえる。 場合によっては―――――――――命だってことさえも。 それだけ魔法は、複雑かつ恐ろしいもので。 そして、そんな魔法をよく分かっていないソフィーだからこそ、いとも簡単に「助ける」などと口に出来るのだ。 「……………?!」 と、その時。 ハウルの中で、突然何かが音をたてて警告する。 瞬間。 ここからは到底離れた場所にある動く城の雰囲気がガラリと変わったことを、ハウルは瞬時に感じ取っていた。 「……………何だ?」 眉を潜め。 息を呑む。 どうやら、自分の知らない家族以外のものが城の中へと入ったらしい。 何かまでは分からないが、それは明らかに禍々しく。 ハウルは上着を着整えると。 目を伏せて、動く城の位置を確認した。 そしてそのまま、自分の中の魔力を一気に高める。 一刻も早く、城へと帰らねば。 空からは、いつしか雨が降り出したのだろう。 次に気づいたときには―――――――ハウルの姿は、すでにそこには無かった。 |