時の呪文 −6− |
「で?ずいぶんと仲がよさそうだったけれど、知り合い?」 ルーイが帰ってから、しばらく静まりかえった部屋の中。 まず言葉を発したのはハウルだった。 その言葉に、ソフィーは振り向いてみせる。 するとそこには、予想通りハウルの不機嫌そうな顔があって。 そのことに、ソフィーは小さく笑ってみせた。 ルーイがまだ家の中にいた時には、いたってクールで決して冷静さを欠かなかったというのに。 いなくなった途端、ハウルは本当の自分を見せてくる。 弱虫で、わがままで、臆病で。 でも、自分の心には真っ直ぐで。 家族に、そして自分にだけ見せてくれる、本当のハウル。 ソフィーには、それが嬉しかったのだ。 ソフィーは、入口の段差を上りきってハウルに近づいた。 身長差があるためか、少し見上げる形になって。 微笑みながら、言葉を紡ぐ。 「ルーイはね、小さいころお隣に住んでいた幼馴染みなの」 そんなソフィーの言葉に、ハウルは「ふぅん」と面白くなさそうに相槌をうって。 ソフィーはそのまま言葉を続ける。 「でもね、いつだったか急に引っ越しちゃって、それっきりだったのよ」 ね? ソフィーはそのままニコリと笑うと、マルクルから買い物カゴを受け取った。 そして、台所の方へと足を向ける。 すると、そこへ間髪いれずにハウルが言葉を続ける。 「それにしては嬉しそうだったね」 そんなハウルの言葉に、ソフィーは2、3度瞬きをして。 それからカゴの中身をテーブルの上に置きつつ、ハウルの方を見た。 「じゃあハウルは?どうしてルーイと知り合いなの?」 質問してるのはこっちなのに、それを割って入るようにソフィーは質問を投げかけてきた。 見ると、手を動かしながらもソフィーは、興味深げな表情をしながらこっちを見ていて。 仕方なくハウルは、ふぅ…と一つ息をはいてから言葉を続けた。 「魔法学校時代の後輩さ。そんなに親しくはなかったんだけど、なぜか急に訪ねてきてね」 「そう、すごい偶然ね!」 そのままソフィーは驚き微笑みながら、買ってきた食材をマルクルと整理し始めた。 そして、これでルーイの話題は終わりと言わんばかりに、部屋の中を忙しそうに動き出す。 「………………」 上手く話をはぐらかされた様な気がしてならないが、とりあえずハウルは深い溜息をついたのだった。 夜。 みんなが眠りについたのだろう、シンと静まり返る部屋の中。 ソフィーは、自室でランプの明かりをもとに、たまっていた繕い物を縫っていた。 小さな穴の開いたマルクルの寝着に、チクチクと針を通しては、糸を引っ張って。 また針を通しての、同じ作業。 それは本当に単純な作業で。 単純がゆえに、考えなくてもいいことを考えてしまう恰好の時間となる。 「……………」 ソフィーは、針と糸を使って器用に布の穴を塞いでいく自分の指先を見つめながら、昔のことを思い出していた。 『まえの赤錆色、きれいだったのに』 『それにしては、嬉しそうだったね』 自分に向けられた、様々なセリフが脳裏に蘇る。 確かに、ソフィーは昔の自分があまり好きではない。 パッとしない、赤錆色の髪をした自分。 自分に自信が持てなくて。 綺麗と思ったことなんて、一度もなくて。 いつも、鏡を見るたびに溜息ばかりついていた。 小さい頃も、そう。 記憶の片隅に残る、本当に遠い昔。 町の人気者のレティーと。 そんなレティーを横目に、いつもビクビクしていた自分。 しかし。 そんな自分に「きれいだよ」と、生まれて初めて言ってくれた一人の少年がいたのだ。 それが、ルーイ。 あの時は、自分が小さすぎて感情がよく分からなかったけれど。 嬉しいと思ったのは、確かで。 ソフィーは、針先を見つめながらクスリと笑ってみせる。 「あれが…、私の初恋だったのかなぁ」 そして、マルクルの寝着の穴が塞がったことを確認して、糸を切った。 そのまま、次の繕いものに手をかける。 手に取ったのは――――――――ハウルの洋服。 そんなハウルの洋服を、ソフィーは無意識に見つめて。 そして、そのまま頬を軽く埋めてみせた。 ふわり、と香る花の香り。 ハウルの香り。 しずかに、目を閉じる。 「ハウル…………」 ポツリ、と呟く。 |
そう。 ソフィーの記憶に残る、もう一人の自分を「綺麗」だと言ってくれた人。 それが、ハウル。 あの、花畑で。 二人だけの、秘密の庭で。 ソフィーはあの時のことを思い出しながら、胸を熱くさせた。 鼓動が、微かに早くなる。 正直、ハウルに「綺麗」と言われた時の感情は、ルーイの時とは比べ物にならないほどのもので。 ルーイの時は、幼かったこともあるだろう。 でも、それだけじゃない。 それだけじゃ、ないのだ。 僅かにだが、目を開ける。 ハウルの洋服越しに、ランプの光が目に入ってきて。 もう一度、目を閉じる。 そう。 それはきっと、ハウルが自分にとってかけがえの無い存在だから。 自分の運命を、変えてくれた人だから。 自分が心から愛した人からの―――――――言葉だから。 と、その時。 「ソフィー」 突然部屋の扉をノックされ、ソフィーはすぐさま思考を中断する。 あわてて、ハウルの服から顔を上げて。 すると、返事を返す前に、その声の主は部屋の中に入ってきた。 その人物は、まぎれもなく今までソフィーが顔を埋めていた洋服の持ち主で。 見ると毛布を肩からかぶり、明らかにサイズの合っていないブカブカの室内履きを履いている。 一度ベットに横になったのだろうか、髪の毛が少々乱れていて。 「ハ…っハウル」 思わず、声がうわずる。 そんなソフィーにハウルは一瞬目を細めて。 そして、椅子に座っているソフィーへと近づいた。 ハウルの室内履きが、ペタペタと音を鳴らす。 そして、ソフィーの手元を肩越しに覗き込んだ。 「何してるの?」 「えっ、あ、繕い物。たまっちゃってたから……」 近づく、顔。 自分に向けて囁かれる、低い声。 ソフィーは、意識的に洋服を縫う手を早めた。 ハウルが耳元で息をするたびに、速まる心臓。 熱を増す、頬。 お…落ち着いて。 落ち着くのよ、ソフィ〜〜〜〜〜っ!!! 何とか自分にそう言い聞かせつつ縫い物を進めるものの、ちっとも鼓動がおさまる様子はなくて。 そんな中、ハウルがますます顔を近づけて、こう呟いたものだから。 「………ねぇソフィー。いいかげん僕達って寝室を一緒に……」 すると、真っ赤な顔をしたソフィーが、話を最後まで聞く間もなく椅子から立ち上がった。 「わ…っ、私!おばあちゃんの様子が気になって。だから!それで、見てこなきゃ!!」 まともに動かなくなった思考回路を駆使して言葉を発したものだから、当然ちぐはぐな文章になってしまい。 それでも、ソフィーは何とかハウルへとぎこちなく微笑んで。 そのまま部屋を出て行ていく。 途中、階段のところでつまづいたのだろうか、小さな音と声が聞こえた。 「………………」 嵐のような速さで部屋を出て行ったソフィーの背中を見送った後、一人部屋に残されたハウルは、毛布にくるまったまま部屋にある小さなベッドに腰掛けた。 そして、重たく息を吐く。 床には、先ほどソフィーがあわてて立ち上がった時に落ちてしまった縫いかけの上着。 ハウルが軽く指先をクイッと上に向けたかと思うと、その上着はひとりでに机の上へふわりと移動した。 そのままハウルは天井を仰ぎ、しばらくして。 部屋を出て行ったのだった。 |