時の呪文
−7−






 ソフィーは、心地よい夢の中にいた。


 暖かな日差しと。

 柔らかい、風。


 目の前に広がる、花畑。

 その花畑に佇む、自分に向けて手を差し伸べている一人の少年の姿。


 その少年が誰なのかを確認しようと、足を前へ踏み出す。


 そんな穏やかな風景が、目の前に広がって。


 広がって―――――――――………



 「!!!」


 と、そんなソフィーの夢心地を一瞬にして崩すような音が、突然頭上で響きわたった。


 蛇口をひねる音と、水の音。

 それが、家全体に響き渡る。


 思わずソフィーは飛び起きて、あわてて髪を後ろで結わえるような仕草をした。


 と、自分の髪が短いことに気がつく。
 
 長年のくせになってしまったのだろう、微かに苦笑いをして。 


 ふぅ…、と溜息をついた。

 視線を天井へと向ける。


 「ハウル、こんな朝早くからお風呂に入ってるのかしら」


 ソフィーは、ポツリと呟いた。

 そして、窓の方へと目を向ける。

 見れば、外は天気がいいのだろう陽の光が差し込んでいて。



 あれから。

 ルーイがここを訪ねてきてから、早いもので一週間がたっていた。

 
 この一週間、これといって何かあるわけでもなく。

 ルーイが再び訪ねてくることもなくて。


 本当にいつも通りの日常。

 いつも通りの毎日。


 そして、そのいつも通りの日常に習って、ソフィーはもそもそとベッドから起き出した。

 髪の毛を整え、服を着る。 

 そして、1日の始まりに気合を入れて。


 「おはよう、カルシファー」


 部屋を出ると、居間にはカルシファーしか居なく、とりあえずソフィーはそう口にした。


 「おはよう、ソフィー」


 そんなカルシファーの返答を聞きつつ、ソフィーは流しの所へと足を運び、歯を磨いて顔を洗い始めた。
 

 カルシファーが気をつかってくれているのだろうか、流しの水道から出る水もほんのりと温かくて。

 そのことにソフィーは、小さく微笑む。


 そして、洗い終わった顔をタオルで抑えつつ、ソフィーはふと鏡を覗き込んだ。

 
 洗いたての、サッパリとした顔つき。

 濡れた前髪。

 星色の、髪の毛。


 何度か、瞬きをして。

 目を細めてみせる。


 鏡に映った姿を見て、前ほどは落ち込まなくなった自分。

 そのことに、新鮮さを感じつつソフィーはくるりと振り向いた。

 横髪を、少しだけつまんで持ち上げて。


 「ねぇカルシファー、私の髪の色、前と今とどっちが……」

 
 と、そこまで言ったところで、眠たそうにしていたカルシファーが片目を開けてみせた。

 そしてすぐさま返答する。


 「おいらはもちろん、今の方が好きさ。何てったって、おいらの本当の姿の色そっくりだからね」


 そして、大口を開けて薪を口にくわえて。 

 じーっとソフィーの方を見る。


 「………あいつだろ」

 「……?」
 

 突拍子の無い突然のカルシファーの問いかけに、ソフィーは首をかしげてみせる。

 そんなソフィーを見て、カルシファーは薪をくわえながら。
 

 「ルーイってやつの言葉を気にしているんだろ?おいらにだってそれくらい分かるよ」

 「ち…っ違うわよ」
 

 ソフィーはあわてて否定に入る。

 まぁ、正直全部が全部ルーイのせいでは無いとはいい難いのだが。 


 ただ、それがきっかけとなって、昔の自分を思い出してしまうというだけのこと。


 「そんなことよりソフィー、薪。薪をおくれよー」
 

 見るとカルシファーの手元には、くわえているもの以外は一本も薪が残っていなかった。
 
 
 カルシファーはもう自分で動けるし、薪がなくても消えることは無い。

 しかし、今まで暖炉で薪を燃やしつつ長い間生きてきたこともあってか、どうもここが一番落ち着くのだとカルシファーは言う。
  
 もちろん、薪だって自分で取りに行けばいいだけの話なのだが、一本だけでも重く感じるカルシファーは、こうやって誰かにくべてもらっているというわけである。


 ソフィーは、椅子の上にたたんで置いてあったエプロンを片手に、暖炉に近づいた。

 そして、暖炉の横に山済みになった薪を一本取ろうと手をかけた、その時。


 「おいら、何となく分かるぜ。あいつがこの家に来た理由」

 「……え?」


 話しかけられた言葉に、ソフィーはふと手を止める。

 そんなソフィーの行動に、カルシファーは手を止めるなと言わんばかりに「あぁっ」と情けない声をあげて。


 しかし、言ってしまったものはもう遅く。ソフィーはカルシファーの言葉を待つかのように、止まったままこちらを見つめていた。

 まるで、カルシファーが続きを喋るまでは手を動かしませんとでも言っているかのようで。


 仕方なくカルシファーは、ソフィーの手につかまれたままの薪を恨めしそうに見ながら、言葉を続けた。


 「あいつ、おいらのことをジーっと見てたんだ。……おいらはなるべく普通の火を装っていたけれど、確かにあいつは『おいら』の存在に気がついてた」

 「…………」
 

 カルシファーの言うところの『おいらの存在』。

 それが何を指しているのかは、ソフィーにははっきりと分かっていた。
 

 そう。

 カルシファーの存在。

 それはすなわち、「悪魔」の存在ということで。


 今だ手を動かす気配を見せずに、ソフィーは黙ったまま考え込んだ。

 そんなソフィーを見て、カルシファーはますます恨めしそうに薪を見つめながら話を続ける。


 「……あいつ、戦争が終わる前に王宮を辞めたって言ってた。ってことは、王宮の情報は何も入らない。たぶん、おいらとハウルの契約が切れたことも知らなかったんじゃないかな」


 ピクリ、と薪を持つソフィーの手が動いて。

 カルシファーはその手から視線を外さずに、言葉を続ける。


 「あいつは間違いなく、ハウルの心臓を狙ってきたんじゃないかっておいらは思うけどね」


 そして、自分の考えを凄いだろと言わんばかりに、カルシファーは火の勢いを強くしてみせる。


 すると、くわえたままの唯一手元に残っていた薪が勢いよく燃えてしまい。

 カルシファーは「あっ」と小さく声を上げた。

 
 「ソフィー、もういいだろ。いいかげん薪をおくれよー」  


 しかし。

 ソフィーの耳からは、そんなカルシファーの訴えは抜けていってしまい。

 未だ、考え込む。


 ハウルの心臓。

 それは、以前荒地の魔女だったおばあちゃんも必死になってほしがっていた。


 きっと心臓は、それほどに凄い力を持っているものなのだろう。
 
 きっと、人の一生を左右してしまうほどの力を持っているのだろう。


 それくらい、ソフィーにだって容易に考え付くことで。


 「でも…、ハウルの心臓は、今は……」


 ソフィーは、無意識にそう言葉にしていた。

 対するカルシファーは、薪を横目にしぶしぶと返答する。


 「そうさ。契約は切れたからね。ハウルの心臓はハウルの中。手出しは出来ないさ。……でもおいらには、あいつはおいらを見て心臓が無いことに気がついたように見えたし、それはそれで、何かを企んでいるようにしか見えなかったけれど」

 「……何かって?」


 ソフィーは、薪を持ったままカルシファーの方へと身体を向ける。

 両手を前で固く握り、薪を2本ほど抱きしめるような形になって。


 「それはおいらには分からないよ。それにおいら、はっきり言ってあいつの目は嫌いだね。まるで死んだような目をしてた。おいらには分かるね」

 「カルシファー!それは何?どういう意味?」


 そう言いつつ、ソフィーが身を前に乗り出してきたことをいいことに、カルシファーはソフィーの胸元にある薪へと手を伸ばした。

 
 頑張って、伸ばして。

 もう少しで、届きそうといったその時。
 

 「そんなこと、おいらの口からは言えないよ。契約違反さ。呪いや契約っていうのはそういうもんさ」

 「………!!」


 その言葉に、ソフィーは思わず手に持っていた薪を床に落とした。

 そのことに、カルシファーが小さく悲鳴を上げる。


 その後、カルシファーの長い溜息が部屋中に響いて。

 対するソフィーはというと、目を大きく開いたまま考えこむ。


 今。 

 今カルシファーは、何て言ったの?


 呪い?

 ルーイに、呪いがかかっているとでもいうの?


 ソフィーは、小さく息を呑んでみせた。

 対するカルシファーはというと、薪を諦めたらしく寂しそうにふよふよとソフィーの横を素通りする。


 「……………」


 そう。カルシファーは以前、一瞬でソフィーに呪いがかかっていることを見破ってみせた。

 だから、きっと今回も間違いは無いはず。
 

 ルーイは、何かの呪いの類にかかっていて。

 そして、それをどうにかしようと、ハウルを訪ねてきたってこと?

 ハウルの心臓を狙って? 

 
 それとも、ハウルをどうにかしようと?


 「…………」


 確かにハウルは、まれに居ないと言ってもいいほどの魔力の持ち主だ。

 ソフィーにはよく分からないが、その魔力を狙っているものは、ごまんと居るのだろう。


 でも。でも、だからといって。

 …………そんなこと!!


 そこまで考えて、ソフィーは首を横に大きく打ち降った。

 もう一度、落ち着いて考える。


 しかし、頭の中を整理しようとすればするほど、ごちゃごちゃになって。

 収集が、つかなくなる。


 そして、気がつく。


 ――――――そうよ。

 カルシファーが気がついてるということは。

 きっと。ううん、絶対にハウルはルーイの呪いに気がついてるはず。


 気がつかない、わけがない。


 ソフィーは、ふと頭上へと目を向けた。

 そして、一分ほど俯いて。考えて。

 何かを決心したかの様に、キッと天井をにらむ。


 そしてそのまま、階段を駆け上った。


 目指すは―――――――――先ほど睨んでいた先にある、ハウルがいるだろう風呂場。

 
 ハウルが出てくるまで、ちょっと待てばいいだけの話なのだが。

 それを待っていられるほど、ソフィーには度量が無かったのだ。