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江戸東京博物館
江戸東京博物館と吉良邸跡
東京都墨田区横綱1−4−1 撮影:H19.3.27
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江戸東京博物館:失われつつある江戸東京の歴史遺産を守るとともに、東京の歴史と文化を振り返ることによって、未来の東京を考える博物館として、平成5年3月28日に開館された。当初はあまり話題に上らなかったが、最近になって急に人気がでてきたようである。常設展示と特別展示があり、前者のメインは日本橋、棟割長屋、助六の舞台、中村座、朝野新聞社、凌雲閣・浅草十二階、関東大震災、和洋折衷住宅、風船爆弾などがある。
旧吉良邸:両国3丁目(旧松阪町)の一角にほそぼそと一部が残され、首洗い井戸と松阪稲荷大明神が祭ってある。
回向院:1657年明暦の大火の犠牲者を弔うために創建された浄土宗の寺院。旧国技館が出来るまで資金集めとして勧進相撲が行われていた。本尊は阿弥陀如来で、鼠小僧の墓もある。赤穂浪士討ち入り直後、寺内の休息を拒否したことで有名?
大石内蔵助は討ち入り後、隣の回向院に入る予定であったが寺はかかわりあいを恐れて門を開かなかったため、品川近くの泉岳寺まで、2時間以上歩かなければならなかった。
松坂稲荷大明神
松阪稲荷は松阪町に置かれた御竹蔵の水門内に鎮座していたのを、赤穂浪士討ち入り後、地所清めのため吉良邸跡へ移し既存の上野稲荷と合祀されたものである。
吉良邸跡地
吉良邸の一部、約20坪がかろうじて残されている。皮肉にも入口横に「赤穂義士遺蹟 吉良邸跡」の石碑が建てられている。
首洗い井戸
邸内の一角に吉良上野介の首洗いの井戸があり、ちょっと不気味でもある。泉岳寺の義士墓所の入り口にも同様な首洗いの井戸がある。
回向院
吉良邸の隣接地にあり、赤穂浪士討ち入り後の休憩、事後処理のための入廷を係わり合いを恐れて拒否した。
江戸時代の日本橋
1603年に架けられ、翌年に東海道、中仙道、奥州街道の基点と定められた。全長51m、幅8m。
武家屋敷
大名格の上級旗本の武家屋敷模型
江戸歌舞伎・助六舞台の展示
助六の本性は曾我五郎で、江戸では毎初春、曾我兄弟のあだ討ち「曾我物語」を上演する習慣があった。
江戸東京博物館入口
この建物は1階からは見えないので、駐車場横からエレベーターで
上がり入場券売り場の前に出ると見える。