近江八幡
地図
BACK
一時、豊臣秀吉の後継者と目された秀次は、1585年、18歳にして近江53万石の大大名に任命され、織田信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移し、八幡山の頂上に城を築いて新しい城下町を開いた。彼は城の周囲の八幡堀を琵琶湖とつなぎ、琵琶湖を往来する船を城下に寄港させ、自由商業都市としての発展を目指して楽市楽座も開き、今でも近江八幡の開祖として慕われている。八幡堀の周囲は石畳が敷かれ散策に風情を添え、堀巡りの船も往来し時代劇にもよく登場する。
町中には往時の繁栄を偲ばせる商家や旧家が並ぶ街道がきれいに温存され、食後の散策にうってつけである。その一角に昔々に慣れ親しんだメンソレータム会社「近江兄弟社」を見つけ、子供の頃の時代に引き戻されたような懐かしさを覚えたものである。
W.M.ヴォーリズ・・・・明治38年現八幡商業高校の英語教師として来日,生涯この地で過ごし秀次と並んで近江八幡市民に今でも慕われている。キリスト教伝道のかたわら、大阪の大丸デパートなど多くの名建築を残し、またメンソレータムを輸入しその製造販売会社である「近江兄弟社」の前身「近江ミッション」を設立した。
滋賀県近江八幡市丸山 撮影:平成18年11月20日
八幡山城下の外堀・八幡掘・・・・現在は遊覧船や散策の名所になっている
クリック
リンク
近江八幡
(近江商人町)
西川甚五郎邸
W.M.ヴォーリズ像
日牟禮八幡宮前から見た八幡山
ふとんの西川元祖。前の道路は朝鮮人街道
西川邸と道路を隔てた西角、朝鮮人街道沿いにある。
右に日牟禮八幡宮があり、前の道路両側は無料の駐車スペース。八幡山にはロープウェイで登れる。
メンソレータムの「近江兄弟社」
日牟禮神社本殿
風趣を添える松ノ木は「見越しの松」と呼ばれている。
うだつを上げた旧家が並ぶ新町通り