〜 Egypt 〜

●2000年10月 エジプト旅行記

第二日目(其の一) アフマドのカイロ・ツアー

  翌朝、と言うかまだ真っ暗な時間だったと思うが、僕達は突然の大音量 のアザーンで叩き起こされた。噂には聞いていたがこんな夜中に、しかもこんな町中で、こんな大きな音で歌(コーランの詠唱だろうが、僕にはオジさんの歌声に聞こえる)を流していいものなのだろうか?しかし、宗教離れの著しい日本からすると信じがたい程ここでは“宗教”が人々の生活に入り込んでいるのだということを、いきなり実感させられた。アザーンはしばらくして終わり、また眠りに落ちたが、アザーンのせいかはわからないが僕達はとにかくよく寝た。朝食を取りにホテルのレストランに行った時は他の客は誰もいなかった。ちなみに朝食代は宿泊費と別 でそれなりの金額を取られたのだが、僕達の前に出されたのは黒いコッペパン二つとまずいコーヒー一杯だけだった。僕は味気ないパンをかじりながら、どうやらこのエジプトという国は今まで行ったどの国よりも一筋縄では行きそうにも無いことを感じはじめていた。

  ロビーに降りると昨夜契約した一日専属運転手兼観光ガイドのアフマド(アフマッと発音するらしい)が既に満面 の笑みをたたえて僕達を待っていた。さっそくホテル前に路駐してあるアフマドの車に向かったのだが、それは昨晩空港から乗ったタクシー同様白と黒のツートーンに塗られていた。どうやらエジプトのタクシーはセダン・タイプを白黒に塗りわけるのが決まりらしい。外見もかなりボロかったが、内装も色褪せた赤い絨毯のような生地で覆われていて、なんとなく場末のパブを思い出させた。コンパネの上にはティッシュの箱とクルアン(コーラン)が鎮座していた。アフマドはクルアンにキスして「これは俺の宝物だ」と言ったが、それがどの程度本心なのか僕にはまだ測りかねた。ともかく車を発進させ、僕達2人は初めて見る昼間のカイロを走り出した。昼間のカイロはなるほど一国の首都らしい喧噪とバラエティのある貌を持った街だった。街路樹と灰色のビルが並ぶ様は日本の都市と変わらないが、空気中の砂のせいなのか全体的にベージュのフィルタがかかったような感じだ。もしかしたら想像以上に多い車から吐き出される排気ガスのせいも知れない。今日の目的はとりもなおさずエジプト観光の最大の目玉 であるギザの3大ピラミッドだが、僕達はまず近所のエジプト航空の支店へ向かった。国内線のチケットを買うためだ。明日の早朝に空港に戻り、そこからいっきにエジプト最南端のアブ・シンベルまで飛ぶつもりなのだ。

  ここで今回の連れである末ちゃんとエジプトに来ることになった経緯について簡単に触れておく。末ちゃんはデザイン学校時代の友達だ。タイプは全然違う二人だけど何故か卒業後も仲良くしている。僕は前年末に勤務していた会社を発作的に辞めて以来、フリーランスとして働いていた。そして末ちゃんはこの旅行のしばらく前にやはり会社を辞め、ちょっと休憩しているところだった。つまり二人ともヒマだったのだ。二人は同い年で、もうすぐ三十路に手が掛かろうかという所。こんな年齢の男二人が同時にヒマだなんて、そうそうあるもんじゃない。そう気付いた僕達はとにかく何処かに行こう、という話になった。最初はそれこそ世界中の国が候補に挙がったが、近々僕達共通 の女友達の結婚式が控えているのを急に思い出し、大幅に旅行期間が制限されてしまった。その女友達の結婚式に出席するには、10日間で帰って来なければならない。僕達はその女友達を罵りながら、旅行プランの再考を始めた。この日数だと当然のように中南米は消え、長期滞在しないと味がでないような地域も消える。また、国をまたぐには日数が足りないので、一国の中で行ってみたいと思う目的地が沢山ある処がベストだ。そこで自然と浮上したのがエジプトだった。僕達は二人とも歴史や遺跡などに少なからずロマンを感じるタイプの人間だったし、エジプトといえば“歴史と遺跡のかたまり”とも言える国、目的地は腐る程あるだろう。しかも後進国ならではのハードさも男二人旅にはうってつけのように思えた。男二人でフィレンツェの広場でジェラートを舐めている、なんてのはあんまり絵にならない。目的地が決まり、三日後には成田の出発ロビーでAIUの旅行保険にサインしていた。準備期間がほとんどなかったので、予備知識も二人して買った『地球の歩き方』を機内でサラッと読んだだけ。到着日のカイロでの宿も決めてないんだから、旅行全体のスケジュールなんて決まってるわけがなかった。しかし、この点でもエジプトを選んだのは大正解だったとすぐに僕達は気付いた。

  “エジプトはナイルの賜物”なんて、分かったような分からないような歴史教科書の標語でしかなかったが、 いざ真剣にエジプトの地図を見てみてその意味が理解できた。エジプトってのはつまりナイル川なんだ、と。 国境線で区切ったエジプトは垂線と斜線に挟まれた台形をしているが、本当の意味でのエジプトの形はそんまんまナイル河の 形になる。つまりナイル川に沿った細長い土地だけが人の住める国土で、それ以外の砂漠地域は何もない空白地帯みたいなものなのだ(砂漠に住むベドウィンは別 )。だからエジプトを旅行する者は今も四千年前もナイルに沿って一直線に移動すればいいのだ。これは旅行日数の限られた僕達には非常に効率的な移動ルートだった。そこで僕らは非常にシンプルな日程表を機内で作った。とりあえず最初にギザの三大ピラミッドを見て、カイロを少しながす。そして翌朝には飛行機で最南端のアブ・シンベルまでいっきに遡り、後は日数を調整しながら川沿いを鉄道で下り、所々で下車しながら最後にまたカイロで時間をとる。アレキサンドリアやシナイ半島は無理だが、これなら10日間でも余裕でエジプトを堪能できそうだ。こうして全体のメドが立ったことで、僕達はよりお気楽に旅行を楽しめることとなった。

  アブ・シンベルまでのチケットを無事取ったあと、いよいよアフマドのカイロ・ツアーが始まった。全体の旅程は定まったものの、カイロには何があるのかほとんど知らない僕達。ギザまで行く間、とりあえずアフマドのオススメに従うことにした。彼曰く「外国人観光客はカイロを知らない。みんな同じ所しか行きたがらない。俺は観光客の知らないもっといい場所を知っている」。う〜ん。とりあえず様子を見てみよう。知らない土地で身構えたって始まらない。カイロっ子のアフマドに任せてみよることにしよう。

  僕等の宿「LOTUS HOTEL」はカイロの“ヘソ”とも言うべきタフリール広場からほど近いタラート・ハルブ通 り沿いにあった。タフリール広場のラウンドアバウトをぐるりと回りながら気付いたのは、女性の姿がほとんど見えないことだ。同じような背格好のヒゲを生やした男ばかりが特に忙しげでもなく歩いている。首都の中心街とは言え、東京などの混雑とは比べるべくもない。しかし、車の騒々しさは凄まじい。車の数はそれほどでもないのだが、ほとんど全部の車が鳴らしてるんじゃないかと思うくらいクラクションがうるさい。それにどうやらこの国においては交通 ルールとは守られるべき物と言うよりは、教室の壁に掲げられている努力目標のようなものらしい。 つまり誰も気にしちゃいないってことだ。彼らは隙さえあれば当然のように対向車線を走る。正面 から車が迫って来てもギリギリまで本来の車線に戻らないのでスリル満点だ。そして彼らはとにかく自分を優先させようとする。クラクションはその意思表示の手段だ。正しいとか間違ってるとかの問題じゃなくて、とにかく押し通 した方の勝ちなのだ。これが交通ルールに限らないエジプトの生活ルールだということに僕等は追々気づかされていくわけだが。

  東に向けカイロの中心部を抜けていった車は、みるみるうらぶれた感じのゲットー(言葉は悪いが)みたいな地区に入っていった。「オイオイ何だよ、雰囲気悪いな。大丈夫か?」思わず不安が口をつく。イスラムの国では犯罪は少ないと言うが、まだそれを実感できていたわけじゃない。アフマドが自分の仲間が待つ場所まで僕達を運んで、金を巻き上げるって可能性もある。 アフマドの笑顔もよけい打算的なものに見えてきた。道端にはゴミが吹きだまり、商店のシャッターは閉まったまま、人気がほとんど無いゴーストタウンみたいだ。ときどき人がいると鋭い目つきで物色するように僕等の車を追う。もし何かあってもここでは助けを期待できないだろう。何らかの覚悟をしておいた方がいいかも知れない。と、悲壮な決意をかためかけた途端、前方に突然大きなモスクが姿を現し、車を停めたアフマドが言った。「ここだ」。

  いささか拍子抜けしたが、どうやらこのゲットーの中に佇むかなりボロい(失礼)モスクがアフマドが言うところの“観光客の行かない名所”らしい。なるほど確かに外国人観光客はこんなゲットーに深く入り込んだ場所にある、特に有名でもないモスクには行かないだろう。事実、観光客はほとんどいなかった。しかし後で分かったことだがアフマドの名誉のために言っておくと、このモスクは『地球の歩き方』に小さくだが載っていた。曰わくなんと“マムルーク朝建築の傑作”・・らしい。“マムルーク朝”と言われてもピンとこないのが悲しいが、14世紀頃に隆盛を誇ったイスラム王朝のスルタンが建てたそうだ。正式には“スルタン・バルクークのハーン・カー”と言い、モスク、学校とスルタンの墓所を兼ねた複合施設だったそうだ。700年近く昔の建物なんだからボロく見えるのは当然かも知れないが、保存状態の悪さもありそうだ。というか保存というレベルではなく、放っておかれているというのが正しい。アフマドに促され、門番らしき男に入場料を払う。本当にこの男が門番なのか怪しいものだが、アフマドが後でキックバックを貰うのは火を見るより明らかだ。これも後で調べてわかった事だが、やはり正規の値段より高い金額を払わされていた。

 モスク自体は立派なものだった。朽ちかけているとはいえ、往年の栄華を偲ばせるには充分な威厳を保っている。ある一室ではローブ風の衣装を着た男がコーランの一節を見事な声で詠唱してくれた。高いドーム状の天井の中で声が反響し、エキゾチックな雰囲気をいやでも高めてくれる。彼は衣装からして多分普段から礼拝の時に詠唱を担当している聖職者なのだろうが、歌い終わってチップを要求するときの顔は完全に俗人のそれに変わっていた。考えてみれば本当に高潔な宗教者が外国人観光客のために気軽にコーランを詠んでみせたりはしないだろう。ところどころ崩れている螺旋階段を慎重に上り、ミナレット(尖塔)の上まで来た。この辺りにこのミナレットより高いビルなどは皆無なので、カイロ中を見渡すことが出来る。きっと中世の頃はこの尖塔から詠まれるアザーンがカイロじゅうに響いたのだろう。ここからの眺めをバックにTVニュースの中継なんかしたらハマりそうだ。「・・今現在カイロ市民は比較的平静を保っています・・。カイロ支局の××でした」とかね。

  死ぬほど汚いトイレでエジプト式便器を初体験してから僕等はモスクを後にした。願わくば大きい方で世話にはなりたくないトイレだ。ここでアフマドは進路を南にとり、カイロの東の端に沿って車を走らせた。途中、立体交差の陸橋で車を停めたアフマドは僕等を車から降ろした。陸橋からは見えるのは一面 の廃墟で、半分崩れたような低い家屋が密集している。アフマドの説明ではここら一帯を“死者の町”と言うのだそうだ。 なるほどいかにもそんな感じだ。ここは昔墓地だったところでその後貧しい人々が住み着いたのだが、何しろ造りの甘い家々なので近年の地震で大きな被害が出たそうだ。よくよく見てみると驚いたことに今も人が住んでいる形跡がそこかしこにある。 そして家々の敷地の中に墓石のようなものがいくつも見える。最初“死者の町”と聞いて、てっきり廃墟だからそう呼ばれるのかと思ったが、まさしく墓地に人が住み着いているのだ。 日本人だったら気味が悪くて墓場に住もうなんて絶対思わないだろうが、イスラムでは死者に対する感覚が違うのかも知れない。 そう言えばエジプトはミイラの国だし。

  車はナイル川に架かる橋を渡った。右手遠くにカイロ中心部の高層ビル群が見える。どうやらカイロの外環道路を時計回りに走ってギザに向かっているようだ。アフマドが突然「パピルス博物館に行こう」と言い出した。パピルスと言えばエジプトのメジャーなお土産のひとつ、なんとなくアフマドの思惑が透けて見える。僕達は「パピルスには興味がないし、買わないよ」と釘をさしたが、アフマドは「博物館はタダだし、別 に買わなくてもいい。安心しろ」と商売気のないサッパリした顔で言う。先程のモスクはまぁまぁだったしアフマドもしつこく勧めるので、ここは彼を信じて行ってみることにした。ナイル川沿いにしばらく北上し、着いたのは“博物館”というイメージからはかけ離れた大きなパピルス屋だった。「なんだよやっぱり土産物屋じゃん」と思ったが、アフマドに「俺は車で待ってるから行って来い」と背中を押され、しぶしぶ建物に入った。広い店内の壁一面 に色々なパピルスが飾ってある。たいてい絵や文字が描かれていて、立派なものはそれなりの値段がする。しかし粗い紙に書いてあるので絵柄は精巧とは言い難く、あまり購買意欲を掻き立てられるようなものではなかった。気のない様子でぶらぶらしてると、優しい感じの女性の店員が話しかけてきた。「あちらでお茶を飲みながら説明を聞きませんか?」。お茶を飲んでしまっては断りずらくなると思い、先に買う気はない旨を伝えるが、向こうは気にする様子もない。年若い純朴そうな店員さんのお誘いを無下に断るのも悪い気がして説明を聞いてみることにした。小さいガラスのカップでシャイ(砂糖がたっぷり入ったエジプトの紅茶)をいただきながら、彼女が説明してくれたのは本物のパピルスと偽物の見分け方だった。水につけたりして、両者の質の違いを丁寧に説明してくれる。そしてここで売っているのは全て正真正銘の本物だと力説する。しかし、僕は彼女が熱心に説明すればするほど、結局買わずに帰る僕等に落胆する彼女の顔を想像して気が重くなった。実演が終わると彼女に礼を言い、またしばらく義務的にパピルスを見て回ったが、やはり買いたくなるようなものはない。だいたいカイロには最終日にまた来るのだから今買っても荷物になるだけだ。どうやらここは公営のパピルス販売所のようで、店員も一様におとなしく強引な売り込みはいっさいしてこない。それだけに何も買わずに出るのが申し訳ない気になるが、欲しくないものはしょうがない。店を出る際にちらっと彼女の様子を見ると、案の定少し浮かない顔をしていた。僕等が車に戻るとアフマドは知り合いらしきエジプト人とシャイを飲みながらお喋りをしていた。僕等に気づくと意表を突かれたような顔で「随分早いじゃないか、もういいのか?何か買ったか?」とあわてて聞いてきた。手ぶらの僕等をみて彼もまた少しガッカリしたようだった。だから買わないって言ったろ。もう土産物屋はいい、さっさとピラミッドに行きたい。

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