●2000年10月 エジプト旅行記
第二日目(其の三) 怒りのスフィンクス
3大ピラミッドの東に少し離れた辺りに狛犬のようにちょこんと座っているスフィンクスに着くと、俄に日が陰って空は雲に覆われてしまった。砂漠の天気は変わりやすいのか、風邪も強くなり砂が舞う。砂漠の砂はとても細かいので一眼レフのカメラの隙間に入り込んでしまい、ズームがうまく調節できなくなってしまった。結局この日の砂嵐のせいで旅行中ずっとカメラは調子が悪いままだった。よく言われていることだが、スフィンクスはどうにもバランスが悪い。身体に対して頭が小さすぎる。建設当初のスフィンクスは人頭獣身ではなく、そのまま獅子の頭を載せていたと考える説がある。たしかに元々あった獅子の頭部を削って人間の頭に変えようとしたのならば、この均整を欠いた小さな頭部も説明がつく。 また、元はもっと純粋な黒人の顔だったという説もあるそうだ。なにせスフィンクスが作られてから 何千年も経っているのだから、その間に繰り広げられた権力の興亡を考えれば、ときどきの為政者が自分の権威を正当化するためにスフィンクスの顔を自分の顔に似せさせたと言うのもありそうな話だ。
しかしそれにしても現在目の前にあるこの巨大な像は、哀れなほどに痛んでしまっている。風化によって輪郭が丸くぼけていまって、あと何世紀かすればそれこそ砂場の城のように崩れて消えてしまいそうだ。19世紀初頭に英国人画家によって描かれたスフィンクスは妙にリアルな顔をしているが、あれは画家が下手なんじゃなくて当時のスフィンクスはきっとその顔にもっと鋭さを残していたんだろう。そもそも長い間スフィンクスは砂に埋まっていて、頭だけを砂の上に出していたそうだ。研究や観光のために掘り起こし、風に晒し続けたせいで急速に崩壊が進んでしまったんだろう。もちろんそのお陰で僕もこうしてスフィンクスを眼にすることが出来るわけだけど・・。スフィンクスのすぐ脇に“河岸神殿”と呼ばれる建物がある。メンカウラー王のピラミッドから真っ直ぐに伸びた参道の先にあるのだが、何故“河岸神殿”と言うかというと建設当時ここがナイル川氾濫時の河岸だったからだ。もしかしたら船で訪れたファラオのためのボートハウスのようなものだったのかも知れない。この建物もピラミッドの内部と同様に巨石を驚異的な精巧さで組み上げたものだ。と言ってもピラミッドやスフィンクスほどの面 白さはないけど。
スフィンクスにお別れをして僕等は再びラクダに跨り砂漠に向かって出発した。往きに僕がラクダに乗ったので、末ちゃんと交代して今度は馬に跨る番だった。この馬は今にも死にそうな年寄りの牝で、ラクダに比べると跨るのが悪い気がするほど小さく弱々しい。いかにも苦しげにゼェゼェ息を吐いていて、小さな砂丘ですら越えられず、その度に背から降りて引っ張らなくてはならなかった。少なくとも80ポンドの価値が無いことは確かだ。ちなみに名前は「ミシミシ」。あまりにピッタリな名前なので僕等は笑ってしまった。再びピラミッド・エリアをこっそり抜け出ようとしたとき、見覚えのあるオッサンが駆け寄って来た。気の抜けたコーラをくれた人だ。彼は往きにコーラをくれた同じ場所で帰りに空き瓶を回収しているのだ。ついでにお金も・・。もう笑うしかない。無理矢理コーラを押しつけて去って行ったくせに、忘れた頃に料金を回収しに来るとは。はした金とはいえ、またも釈然としない気にさせられた。全くエジプトはそう簡単に観光客に自国が誇る文化遺産の感慨に浸らせてはくれない所だ。それにしてもこのピラミッド周辺の観光客相手のボッタクリ・システムを見ていると、まるで一つの完成された生態系のように感じられる。その中ではきっと僕等のような日本人観光客は食物連鎖の最下層に位 置してるんじゃないだろうか。彼らの手管は一見場当たり的でいい加減なようでいて、その実相応の歳月をかけて練られてきたような巧みさがある。彼らに共通 するのは観光客が怒り出す寸前のラインを見極めている所だろう。とにかくこちらの意表を突き、あっけにとられている間に既成事実化するのがやたら上手い。あと笑顔とションボリした顔の使い分けも巧妙だ。観光客にとって旅行の間はハレの場なのだから、ネガティヴな感情を無意識に避ける傾向があると思う。だから地元の人の笑顔は殊更嬉しいし、悲しい顔は見たくないとつい思ってしまうようだ。彼らはそんな僕等の心理を上手に利用して、“生かさず殺さず”といった絶妙のさじ加減で金を引き出すのだ。
コーラの一件で憤然としたのもつかの間、砂丘の頂上から眺める夕陽に輝くピラミッドの美しさに言葉を失った(まったくこの気分の落差がエジプトだ)。大分傾いた日差しが砂丘の陰影を際立たせ、黄金色に輝く3つのピラミッドを中心にこの世のものとも思えない景色が眼前に広がっている。ここで僕等はラクダ(&馬)を降り、しばらく砂丘の上からじっとこの絶景を楽しんだ。確かにこのラクダ・ツアーには色々とムカつく点もあったが、正面 ゲートから普通に入ったのではこの絶景は拝めなかったろう。僕もいちいち細かいことに腹を立てないで、エジプトの大地同様悠然と楽しむべきかも知れない・・。などと警戒心を緩めた矢先、まるでそんな僕等のバイオグラフを見越していたかのように御者の男がチップを寄こせと言ってきた。まぁ、しょうがないと幾らか渡すと、例のションボリした顔をする。僕等は今さっき味わった感動を壊したくないという気持ちが働いたのだろう、争いを避け、結局倍のチップを男に渡してしまった。そして彼は助手の男の子にもやってくれと言う。「男の子は別 かよ!」と内心思ったが、もう逆らう気もなく、男の子には御者にやった半額分をあげた。結局、最初に想定した額の3倍払ったわけだ。貰ったあとの彼らのハシャギようを見ると、どうやらまずありえない額のチップだったようだ。よっぽど僕等は“いい客”だったのだろう。急に元気になった彼らと、半ばヤケクソになった僕等はインディアンのような奇声を上げながら砂丘の斜面 を駆け下りた。日はそろそろ沈もうとしていた。
最初のラクダ乗り場まで戻ると、アフマドがカフェの店先でまた知り合いらしい連中とシャイを飲んでお喋りしている。僕等がアフマドの所まで行くと、アフマドは上機嫌で一緒にいた連中を紹介してくれた。すると妙な悪ノリが始まり“エジプト式挨拶”を教えてくれると言う。お互いに抱き合って左右の頬を交互に合わせる例のヤツだ。しかし今回は変なオマケがついていた。挨拶の最後に相手の頬を軽く叩くのだ。最初叩かれた僕は怪訝な顔を見せたが、アフマドが横から「これは友達など親密な者同士でやる親愛の表現だ」と説明する。そんなものかと一旦は思ったが、明らかにアフマド達には僕等をからかっているような雰囲気がある。それで僕も相手の男の頬を軽く叩き返した。すると向こうの男も少しムッとして、やや強く叩き返してくる。僕も同じくらいの強さで叩き返す。それを繰り返す内に、ついにはシャレでは済まない強さになった。お互いの顔から親愛の笑みが消え、パッと一歩離れ互いに「この野郎、やるか」という格好になった。和やかだった場の空気が一変し、僕と末ちゃんV.S.エジプト人5〜6人という喧嘩寸前の状態になった。これに慌てたのはアフマドだった。彼自身も悪ノリが過ぎたと思ったのだろう、大事な客(金ヅル)と友達が喧嘩になってしまって一番困るのはアフマドだ。もし警察沙汰にでもなれば生活に関わるだろう。それでアフマドが必死になって止めに入り、他のエジプト人達を追い払った。アフマドは怒りの収まらない僕を車に押し込み、車を急いで発車させた。
車に乗ってからしばらくも僕の怒りは収まらなかった。アフマドはなんとか機嫌を取ろうと、しきりに「もう終わったことだから笑え、笑顔を見せろ」と言う。しかし僕は「悪いけど、笑えないよ」冷たく言って顔を窓の外に向けた。あんな事の直後に笑えるエジプト人の神経が解らなかった。何よりも一番ムカついたのは相手にナメられたことだ。アフマドや他のエジプト人が僕等をカモろうとしているのは百も承知だ。しかし彼らに比べれば僕等は金持ちなわけだし、いちいち小さな金額で争って気分を害したくなかったので必要最低限の抵抗しかしなかっただけだ。しかし結果 的にそれがアフマドをして僕等に対する認識を誤らせ、友達にあんな“ゲーム”をやらせてしまうほど僕等がちょろいと思わせてしまったのだ。そんな自分の甘さと、こちらの気持ちを全く忖度しないアフマド達の意地汚さに心底腹が立っていた。一向に機嫌の直らない僕に業を煮やしたアフマドは車を停め、道ばたの店で僕等にジュースを買ってきた。そうしてジュースを飲みながらやっと僕も少し冷静になった。納得したわけじゃないが、かといってこのままネガティヴな怒りを持ち続けてもしょうがないと思ったからだ。エジプトでは日本人の感覚は通 じない。正しいとか悪いとかの観念的な問題は勿論、お互いの考えを理解しようとする試みもここでは全く重要じゃないようだ。人間が集まれば諍いが起こるのは当然で、いちいち突き詰めた解決や相互理解などは必要とされないのだ。争いが起きたらとにかくそれが表面 的なものであっても仲直りをし、禍根を残さないようにするのが一番重要なことだと彼らは考えている気がする。これはあくまで僕が抱いた印象だから一概に言えないことは分かっているが、しかし少なくともエジプトにいる間は日本的な常識を一旦封印し、エジプトの流儀に適応することが楽しく旅行するためには必要だと感じたのは確かだった。こう考えるに至りやっと僕はアフマドに笑顔で言った。「オーケー、もう怒ってないよ。とにかくホテルに帰ろう」。アフマドもホッとしたようだった。彼が本気で困っているのを見るのは気味が良かった。もっと早めに彼を少し困らせておけば良かったのかも知れない。
アフマドは何故か僕等の部屋までついてきた。しょうがないから部屋に入れてやると、明朝の空港までのタクシーも自分にやらせてくれと言う。まぁ、それは僕等にとっても面 倒がなくて便利なので頼むことにした。しかしそれで調子に乗ったのか、あの一件の後しばらく殊勝にしていたアフマドがまた本来の邪念溢れる笑顔を僕等にふりまき始めた。曰わく、「このペンをくれ」、「この上着はいいな。俺にくれないか」。どうもアフマドのカイロ・ツアーの締めは客の部屋でのおねだり攻撃らしい。閉口した僕等は適当なことを言ってアフマドを部屋から追い出した。このあと夕飯を食べに外出したが、今日一日の体験がしこりのように頭に残り、どうも気が晴れなかった。もっと正直に言うと「なんでこんな所に来ちゃったんだろう。日本に帰りたい」とさえ考えていた。旅行はあと8日ある。果 たして帰国するときにはエジプト人に対するこの悪印象は変わっているだろうか。何ともいいようの無い嫌な気持ちを抱えたまま、僕は眠りに着いた。