〜 Egypt 〜

●2000年10月 エジプト旅行記

第三日目 最果ての地、アブ・シンベル

  翌朝アフマドは来なかった。ホテルのフロントに頼んで彼の家に電話を入れてもらったが、「嫁さんの具合が悪い」とかなんとか弁解している。どうも嘘くさい。しょうがないのでフロントに他のタクシーを呼んでもらった。 空港までの道すがら、ますます僕にはアフマドがわからなくなった。 彼が何のために嘘をつくのか、何の得があるのか。来ないつもりなら何故空港まで送らせてくれと言ったのか。ペンもくれない客にはもう用がないということだろうか?それとも昨日の晩、別 れてからまた何処かのホテルで一昨夜の僕等のような新しいカモを見つけでもしたのだろうか。よくわからないが多分そんなところなんだろう。善意に解釈するよりも、悪意で想像した方が当たっているというのが悲しいかな今の僕のエジプト人観だ。

  早朝の人気の少ない空港ロビーでチェック・インを済ませ、僕等はエジプト航空のアスワン行き中型ジェット機に搭乗した。アブ・シンベルまでの直行便が無いので、途中のアスワン空港で飛行機を乗り換えなくてはならないからだ。飛行時間はほんの2〜3時間だったろうか、割とすぐに着いた。着陸する際に窓から見たアスワン空港は地方空港にしては立派な感じだ。滑走路の脇にはカモフラージュされた戦闘機の格納庫がいくつも見えるので、きっと千歳空港のような民間と軍の共用空港なんだろう。今日は乗り継ぎだけだから空港の外には出ないが、アスワンにも色々と見所があるので帰りには寄る予定だ。とりあえずここで再度アブ・シンベルまでのチケットを買うのだが、またも僕等は日本じゃ考えられない事を経験した。なんと航空会社の社員にぼったくられそうになったのだ。その辺の得体の知れない個人業者ならいざ知らず、おそらくエジプトを代表する企業であろうエジプト航空の職員がチケット代を吹っ掛けてきたのだ。勿論僕等はチケット代を事前に知っているわけでもなく、危うく騙されるところだった。最初チケット・カウンターで値段を聞いたときは、カイロ〜アスワン間の運賃に比べていやに割高だなと思ったがアスワン〜アブ・シンベル間が危険地帯だからなのかも知れないと勝手に納得していた。僕等は他に確認する事があってその場では買わずに、しばらくしてから再びカウンターに戻った。するとさっきとは違う職員がいて、さっきよりもかなり安い金額を提示する。念のため確認すると間違いなくその金額だと言う。先程の職員は何処にも見当たらない。全てを察した僕等は何も言わずに、その誠実な方の職員から無事チケットを購入した。まったくこの調子じゃ公共の交通 機関でもいちいち運賃の交渉をするはめになるのかも知れない。ところでこの時、この職員が何気なくペンを貸してくれと言うので末ちゃんが貸してやったのだが、チケットの事に気を取られ返して貰うのをすっかり忘れてしまった。

  アブ・シンベル行きの待合室に行くと、既に大勢の客が座っていた。どうやら僕等の便の一本前の飛行機もまだ来ていないようだ。しばらくの間は売店をひやかして時間を潰していたが、すぐに飽きてしまい大人しく席に座って待つことにした。そこに先程のカウンターの職員がやって来た。僕等はすっかり失念していたが、彼はペンを返すためにわざわざ僕等を探してやって来たのだ。ペン一本でなんと律儀なエジプト人もいたもんだと感心したのもつかの間、「このペンをくれないか」と来た。エジプト人は何故か日本製のペンとライターは高品質だと思っているらしく、日本人を見れば決まり文句の様に「ペンをくれ」とせがんでくる。しかし不思議だ。彼は僕等が忘れているペンをわざわざ返しに来た上で、それをくれと言う。普通 だとそのまま「貰っちゃえ!」となりそうだが、どうやら無断で貰うのは良くない事のようで、交渉した上で(例えそれが詐欺まがいの交渉術だとしても)貰うのならオーケー、ということらしい。この辺は犯罪に対しては厳罰のあるイスラム教国ならではの処世術なのかも知れない。末ちゃんが断ると職員は残念そうな表情で、しかしあんまりメゲてもいない様子でカウンターの方へ帰っていった。俄に待合室がザワザワしてきた。どうやら一本前の便が到着したらしい。電光掲示板を見るとやはり一本前の便名が出ているのでのんびり構えていたのだが、どうも様子がおかしい。待合室の殆ど全員が動き出しているのだ。待合室の中には僕等の便の乗客だって相当数いるはずだが、これはどうしたことだろう。あわてて近くにいた空港職員に聞いてみると、次の便は無くなったからアブ・シンベルに行く人はみんな今来ている飛行機に乗ってくれと言う。市バスならともかく、飛行機がこんなイージーな運行でいいのだろうか。それにしてもエジプトは全く油断できない国だ。なんとか飛行機に乗り込んだ僕等は30分ちょっとの空の旅を終えて、エジプト最南端の街アブ・シンベルに無事降り立った。

  アブ・シンベルには何があるのか?答えは「アブ・シンベル神殿だけ」。ここには神殿がたった一つあるだけなのだが、エジプトに来た旅行者は大抵この神殿を見るためだけに最南端のこの小さな町まで足を延ばす。それだけこの神殿が有名だからなのだが、何故有名かと言うと、勿論建築の素晴らしさもさることながら、この神殿を襲ったある危機のせいで世界的に知られる存在になったのだ。御存知の方も多いだろうが、1952年のクーデターによって政権の座に着いたナセル大統領は、当時世界最大になるダムの建設計画をブチ上げた。 そのアスワンハイダムのダム湖であるナセル湖になんとこの神殿は沈む運命にあったのだ。それを知った世界の知識人がユネスコを中心に救済キャンペーンを展開し、見事に神殿を丸ごと移築してしまったのだ。こうして昔ナイル川近くにあった神殿は現在はナセル湖の湖畔にぽつんと立っている。普通 、団体ツアーで行くとアブ・シンベルにはまず泊まらない。神殿しか見るべきものが無い事と航空機の本数の関係で 、乗ってきた飛行機に荷物をそのまま置いて、その飛行機が再び飛び立つまでの2時間の間に急ぎ足で神殿を見なくてはならないのだ。僕等はこれが嫌だったので今日はここで宿を取ることにしていた。 確かに一泊するほどの場所ではないかも知れないが、2時間で見学するのが嫌なら後は泊まるしか方法が無いのだ。そういう事情があるので空港から神殿まではエジプト航空の無料送迎バスが完備している。たぶんアブ・シンベル空港に降り立った旅行者の95%は2時間後にはもうこの地を去っていくのではないだろうか。 先に僕の結論を言わせてもらうなら、もしそれが可能なら是非アブ・シンベルに一泊することをお薦めしたい。その理由は主に二つ。アブ・シンベル神殿はピラミッドに決して劣らない遺跡なので、2時間足らずの滞在では死ぬ ほどもったいないから。もう一つはこのエジプト最果ての地で一晩過ごすのはきっと忘れられない経験になるだろうからだ。

  側面にエジプト航空のロゴが入ったバスに揺られ、神殿までの道のりを行く。アブ・シンベルは有名観光地でありながら、観光客向けの施設がほとんど無い静かな田舎町だ。先述の事情で観光客が金を落としようが無いからだろう、小さいホテルらしき建物が2つほど沿道に確認できただけだった。小高い砂利山の手前でバスを降りた僕等は、その砂利山を回り込むようにして木々の間を歩いた。そして見晴らしの利く所まで来たとき、僕等の目の前にはギザのピラミッドに勝るとも劣らない非現実的な景色が広がっていた。眼前のナセル湖は一面 ベージュ色の乾燥した世界に忽然と現れた巨大な水の塊で、なんとなく場違いな印象を与える。うろ覚えだが、映画『猿の惑星』の冒頭で宇宙船が湖に不時着するシーンの風景に似ている気がする。振り返れば、さっき砂利山だと思っていたのが実は神殿の背中だった。てっぺんには警備小屋のようなものが建っていて、どうやらここもピラミッド同様に登ってはいけないようだ。 視界の中で段々大きくなってくる神殿を眺めながら、よくもこんな巨大なモノをそっくり移築してしまったものだと感心した。勿論技術的には可能なのだろうが、それにかかる費用、時間、煩雑な作業を考えれば、ある種の情熱の様なものがなければ成し遂げられない類のものに思える。僕は当時を知らないがきっと世界的な盛り上がりを見せた運動だったのだろう。勿論この神殿自体が人類の貴重な遺産だが、この移築のエピソードが更に神殿に付加価値を与えたのではないだろうか。

  この荒野に独り佇む神殿を目の当たりにすると、こんな地の果てに随分立派な神殿を建てたものだと不思議になってしまう。何のためにこの神殿を建てたのかは知らないが、おそらく神殿を建てたラムセス2世の自己顕示欲と無関係ではないだろう。なにしろ、この神殿のファサードには巨大な4体の座像があるのだが、それらがことごとくラムセス2世の似姿なのだ。自分の銅像を同じ場所に4体並ばせることを考えてみてほしい。現代だったら分裂症患者だと思われてもおかしくないだろう。僕等は神殿の中に入るまでにかなり長い間、距離を変え、角度を変えては神殿の外観を眺め、写 真を撮りまくった。さっさと中に入ってしまうには勿体ないほど面白いファサードだからだが、理由はもうひとつある。つまり僕等が乗って来た飛行機の乗客達が見物を終えて出てくるのを待っていたのだ。日帰りの観光客が居る内は当然神殿内部は大混雑するので、それが過ぎるまで外側をじっくり見ていたわけだ。外側を正に飽きるほど眺めた後、僕等はやっと内部に足を踏み入れた。

  10月とは言え強烈な日差しが照りつける外とは対照的に、内部は暗くひんやりしている。入ってすぐの空間は列柱室になっていて、ここにもなんと8体ものラムセス2世像がある。ここまで来るとラムセス2世のオチャメなキャラについ顔が綻んでしまう。神殿内部で一番面 白かったのは壁面を埋め尽くすレリーフ群で、特に入って左側の“カデシュの戦い”を描いたレリーフが最高だ。“カデシュの戦い”と言えば紀元前13世紀頃の世界史的にも有名な戦いで、受験の時にマーカーでチェックした記憶がある。ラムセス2世はこの戦いの後、世界最古と言われる国際条約をヒッタイトと結んだ。条約が結ばれたことからも判る様に、“カデシュの戦い”は特にどちらかの勝利に終わったわけではないのだが、ここのレリーフではあたかもエジプト軍が大勝利したかのように描かれている。ラムセス2世が鬼神のように敵を蹴散らし、多くの奴隷と財宝を獲得した様が実に生き生きと彫り込まれている。3000年以上前のものとは思えないほど保存状態も良く、当時の“カデシュの戦い”の有様をリアルに思い描くことが出来るのだ。ほとんど時間を超越した人間の記録への執念を見た気がした。あとここのレリーフでとても興味深かったのは、一つのレリーフの中で動きと時間の経過を表現しようとする試みが見られることだ。例えば馬の脚が8本あったりする。これは一本の脚を少しずらして2本にすることで動きを表現しているのだ。わかりやすく言うと、よく漫画などで走っている人物の脚がムカデのように何本も描かれているのと同じだ。西洋絵画史で言うと20世紀初頭の“イタリア未来派”の画家で動きのダイナミズムを同じ手法で表現した人がいるが、3300年前のエジプトですでにこの“前衛的表現”が実験済みだったとは驚きだ。とにかくこのレリーフは死ぬ までに一回は見ておく価値がある。

  アブ・シンベル神殿には大神殿と小神殿がある。今見てきたのは大神殿で、その少し離れたところに小神殿がある。これはラムセス2世が王妃ネフェルタリのために建てたもので、ファサードにはネフェルタリの像2体とラムセス2世の像4体が刻まれている。王妃のために建立した神殿なのに王妃よりも多い自分像を造ってしまうラムセス2世はやっぱりオチャメな人だ。小神殿は規模、内容ともに大神殿に比べるとやはり劣る。大神殿をあまりにじっくり見過ぎてしまったせいで、僕はこの小神殿に入る頃にはかなり疲れてしまっていて足早に見学した。それでも小神殿を出る頃にはもう夕方になっており、観光客の姿もまばらになっていた。ここに着いたのが昼過ぎだったから、僕等はたっぷり半日はアブ・シンベル神殿を見ていたことになる。さすがに二人ともヘトヘトになっていて、もういい加減ホテルに向かうことにした。

  目指すホテルはその名も「ネフェルタリ・ホテル」、アブ・シンベルでは最もまともなホテルで、今回の旅行で泊まった中でも一番高いホテルだった。何故ここに泊まることにしたかと言うと、何よりも神殿に一番近かったからだ。僕等は今夜と明朝に再び神殿を見に行くつもりだったので、ここは奮発してこの町では最高級のホテルに向かって歩き始めた。空港へ続く道沿いの神殿から程近い所にあるはずなのだが、歩いても歩いてもそれらしき建物はない。往きにバスから見たホテルは大分先だったし、あれは高級ホテルって感じじゃなかった。おかしいなとは思ったが道を聞こうにも出歩いている人が全くいないので、結局1キロ以上歩いてしまった。やっと市場のようなところでたむろするエジプト人を見つけたので、ネフェルタリ・ホテルの場所を聞いてみた。すると彼らはそれを聞くなり大笑いし始めた。当惑する僕等に彼らが言うには、ネフェルタリ・ホテルは僕等が延々と歩いてきた道を戻った、神殿のすぐ側にあると言う。どこで見落としたのだろう、僕等は憔悴しきった体で来た道をまたトボトボと歩き出した。背後ではまだエジプト人が笑っている。やっと見つけたネフェルタリ・ホテルは果 たして神殿のバス停車場の脇にある側道をちょっと入った所にあった。僕等は側道の案内板を見落としていたのだ。

  なるほどさすがに高級ホテルだけあって、くたびれたバックパッカー風情の僕等にはいささか不釣り合いな立派な外観をしている。が、断られたらまたあの道を歩く羽目になるので、死んでもここに泊めて貰うしかない。フロントで「部屋は空いているか」と聞くと、僕等の格好をジロリと見た後「・・・ある」と言う。僕等はそれを聞いて安堵したが、料金を尋ねるとやはりかなり高い。日本円にして一泊1万円くらいだったと思うが、僕と末ちゃんの財布をのぞいて見るとなんと外貨の持ち合わせが足りなかった。クレジット・カードじゃ駄 目かと聞くと、カードの読みとり器(旧式のガチャガチャ動かすやつ)が故障しているので現金しか受け付けていないと言う。慌てた僕等は再度体中から外貨を掻き集めたがやはり部屋代には僅かに足りない。その僕等の様子を見ていて哀れになったのか、フロント係は「オーケー、カードを読み込めるかどうか一回試してみよう」と申し出てくれた。僕等がカウンター越しに固唾を飲んで見守る中、多少ぎこちないながらも読みとり器はなんとか僕のカードを飲み込んでくれた。

  とにかく当夜の宿を得てほっとした僕等は、ボーイの後についてホテルの中を歩き始めた。このホテルは平屋建てでかなり広い敷地があるらしく、ロビーから大分離れた僕等の部屋は独立はしていないがコテージの様な感じのなかなか可愛い部屋だった。もう辺りは真っ暗で何も見えないが、どうやら湖に面 した端っこに位置しているらしい。部屋に入って荷物をほどき、埃まみれになった身体をシャワーでさっぱりさせると僕等はすぐにレストランに向かった。何しろ朝から何も食べていないのだ。見物に夢中で昼食を忘れていたこともあるが、神殿の周りには食堂の類はいっさい無かった(2時間の滞在では食堂など必要ないのだろう)。だから僕等はもう腹ぺこで、せっかくの高級ホテルだから少しばかり豪勢に行こうという気分だった。それにもう一つ僕等が非常に飢えていたモノがあり、それがこのホテルのレストランではありつけるのでかなり気がはやっていた。

  イスラム教国を旅するとき一番難儀する事、それは“酒”が飲めないことだ。人によっては大して気になることでも無いのかも知れないが、僕と末ちゃんにとっては看過できない一大事だ。イスラム社会では酒はいっさい飲まれないので、町中の商店では絶対売っていないし、レストランにも置いていない。唯一の例外はホテル内のバーやレストランなのだ。カイロでのホテルはバーがあるような気の利いたところじゃなかったので、エジプトに入国して以来僕等は一滴もアルコールを口にしていなかった(といってもたかだか2日だが)。席に着いて料理とビールを注文した。やはり旅行中は現地のビールを飲むのがいいだろうと思い、エジプトが輸出用に生産している「ステラビール」を頼んだ。南の国のビールらしく淡泊な(悪く言えば水っぽい)味わいだが、悪くない。ていうかこんな暑くて埃っぽい場所で一日中遺跡を徘徊した後なのだから不味いわけがない。コレなしで生活してるエジプト人はやはり偉大だ、などと愚にもつかないことも思ってしまう。出てきた料理はあまり憶えてないが、レンズ豆のスープは美味しかった。

  ゆっくり食事とビールを楽しんだ後、部屋に戻って外出する支度をした。夜に神殿をライトアップすると聞いていたので、それを見に行くためだ。部屋を出て空を見上げると、満天の星空だ。よく星の降るような夜空なんて表現があるが、これがまさにそれなんだろう。手を伸ばせば届くような、と言ったらさすがに大袈裟だが、2km位 先に光源があるような星の存在感だ。この辺は本当に田舎なので夜ともなれば人工の光はほとんど無く、天空の無数の星々の輝きを妨げるものは何もないからだろう。これなら星影を頼りに夜道を歩くことも出来そうだ。しかし、何故かエロ本の話をしたがるホテルの門番を振り切り神殿の入口まで行ってはみたものの、なんとライトアップは既に終わっていた。僕等が 食事を堪能しすぎたせいもあるのだが、エジプトでは僕等が思っている以上に電力が貴重なんだろう。トボトボと真っ暗な道をまたホテルに戻る間、しかし僕等はそんなにがっかりはしていなかった。所詮ライトアップなんて人工の光だし、この満天の星明かりに比べればきっとショボいものだったろうと勝手に自分を納得させていた。

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