お地蔵さん2題
糀山地蔵
平成19年10月23日糀山地蔵の奉納された前掛けを撤去。
檀徒総代さんが「妊婦みたいで新しい前掛けをかけるのも苦労をする」とどなたかに云われたらしい。
確かに暖かそうではあるが・・・かなり太っている。
今から50年ほど前糀山が国立高専に様変わりした時に遷座した。
それ以来前掛けは外されたことがないと言う代物。
厚さは15cm程にもなったか。
つまり、40年ぶりのご開帳。参列者は私含め4名。
外す作業の後に2〜3枚新しい前掛けを掛ける。
また40年もしたらのこんな写真が撮られるのかな?
導き地蔵
まず歴史から、
このお地蔵さん、背中に三行 銘が刻んであります。
例によって読み取れない部分四角(□)があり字数も一部不明。
背中に 「享保三年 戊戌
盛照院妙念日澄霊位
□□□□日□□」
左袖に 「渡辺新兵衛」
享保三年と言えば1718年で三百年程まえのことですが、
この戒名は現存の過去帳には載っていません。
この頃の過去帳には禅宗徒のような戒名や
この日澄さんのような日蓮宗徒らしき名も散見できますが。
盛照院日澄さんがどの様な方かは不明です。
当寺に現存する過去帳も釈迦院が江戸末期に纏めた物で
それ以前に亡失した物は記録に漏れている様です。
ともあれこの墓地に縁があり墓石として使用されたのでしょうが、
縁が無縁になり いつの頃にか
別の意味で使用されたのだと思います。
悪霊は墓地から出ない様にという結界の意味と共に、
新円寂(なくなったばかりの霊)を導いて彼岸へ。
そのために「導き地蔵」と名前が付けられたのでしょう。
昭和30年頃墓地に上る最初の坂を上がりきった所の右手前に
あった物を現在地に遷座しました。以降50年ほどになる訳です。
平成16年から 御詠歌講の方々などより
地蔵様の整備をしたいと言う声が上がりました。
当寺としては「有難い事です。」ということで整備プランです。
現在は写真の通り花崗岩などの川原石で5尺四方程の区画をし
コンクリートを打ちっ放しの状態。
縁の石が離れてばらばらになりつつあります。
計画としては6尺四方位で石で壇を作る整備をする、
水を掛ける習慣があるのでお堂は作りません。
私の描いたお地蔵さんは怒り肩で厳めしい?
050403 | 050606 | 050607 |
050610 | ?
| 050616 どう見ても左。 |
050628何時の間に工事終了していました。 所定の位置へ花立て共に移動。めでたし。 |
05年7月10日 景色は変わっていません。 | |