エンテレケイヤと芸術表現 newpage15

美は 聖と結ばれる時に、価値の階段を駆け登って、他の価値に勝る高い位置を占める事にある()

*あらぬものを見ること、それを聖と結ばれたことということである。

現象すること、それ自体に運動が備わっていて、それが目的論的終極(エンテレケイア)に到達したとき、はじめて美的価値の契機となりうるのである」(美74

、「形成と真・善・聖の内容の結合は エンテレケイアに達した現象によってのみ可能となる」(美
95)、

「フッサール『射映』対象をできる限り知るためには その周囲を廻って観察し、学習する必要がある」(意)

「すでに与えられているもの、すでに目の前にあるものを規定するのではなく規定されなければならないものを隠敝態から取り出して、

明るみにもたらすことなのであり、対象として確定することのできる明るさへと高めることなのである」(エフ)、

「世界妥当を遂行していることが、まさに精神が運動せず、休止している状態なのであり、それは 現象学的還元によってはじめて運動状態にもたらされるのである。










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