D 社会的行為のシステム理論
*訓練の厳しさが重要
*目的による統御と価値による統御をシステム理論において探究する。
*芸術作品に於ける概念論の構築となったのです。
慶応義塾大学の寺尾誠教授は 芸術作品における概念の構築と 言っていました。最良の理論は 常識よりも 真であるだけではなく、常識に比べて はるかに意味をなしている。世界の説明として 真剣に受け止めなければならない(世界)
客観的な心理は 普遍的な理論によって 説明する事が出来、1つの論理体系の中に位置づけて説明することが出来る。自己の主体的な生き方を 正しく貫くためのものである。(人)『社会的行為理論は システム理論においてのみ、成果を生むことが出来る』(温p60)という慶応義塾大学の寺尾誠教授の言葉による影響は 多大でありました。教科書の一部を引用致しますと 「生活の構造」のー部として、芸術表現があり、その表現は 他者との共同の了解の場を作り上げる事を願って行なう行為である。それは 理働であり、感情の動きより理性を働かせ、分析 総合する力にある。それらの目的を主柱として定め、それを貫徹する為の方法として「目的による統御」と、「価値による統御」の2本柱の充実を図らなくては成らない。それに欲望の存在が付け加わる。その言葉による影響は 多大でありました。なぜならば 理論を学び、把捉し表現する事は 天性とか言う才能に縁遠い 私としては こんな楽な事はないと思えたのです。何故なら 知識としては 未知のものが多く、自分の立場を考える余裕すらなく、全て、ゼロからの始まりでありました。むしろ 理解が出来るのに時間を要したのです。
寺尾誠教授が推薦してくれた「美と芸術の論理」(木幡順三・けい草書房)は 「心理学的にせよ、認識論的にせよ、理論的に追求していく限り、そこに一種の学問的客観性が失われることはない」(美p23)
それまで、私は 科学や心理学等の範疇から抜け出すことが出来ず、その延長線上で暗中模索に陥っていたのです。美的理性は 美感や芸術の歴史を貫徹する最高の理法でなければならない」 (美p28)という。
そうであるならば、最も難しいものであって欲しい、難しいことであればある程、画家で学ぶ人が少ないのではないかと思へるのです。なぜなら、大抵の画家達は 学問を学ぶことよりも、制作技術に対する技術研究やモチーフ研究等、描くことに対する直接的なものに走りがちであると思えるからです。
いまや個人は一層自分を忘れれる必要がある。個人にあまり多くのことが求められてはならないのと同じく個人自身も、自分に多くを期待 し過ぎたり、自分の為に 多くを求め過ぎてはいけないのである。(意識)
単なる外貌の美は 観照者の精神活動をながく刺激することが出来ないし、「精神的深化を徹底させる事が出来ない」と言われながら、外貌の美の代表的写実絵画が横行しているのは 何故なのでしょうか。
美術館とか、展覧会を鑑賞するとき1枚の絵について どの位時間をかけますでしょう? 10秒?20秒?1分位ですか、きっと、瞬間的なんでしょうね。でも それで 作品が良いか悪いかが、解かるのでしょうか? せいぜい、好きか嫌いか、又は 上手とか下手とか直感的に感ずる技術の良否くらいではないかと思うのです。美術館等の施設においては 一時的な鑑賞だから、 そのようなもので良いと言う考え方は 一般大衆向け「鑑賞態度」の向上が図られず、知覚の立場から 抜け出る事が出来ない。その限りにおいては 美術館や展覧会の役目は 終わってしまったのではないでしょうか。
現在では価値ある品質としての美の意識は まだ、考究されていないとのことなので、従って、暫く価値論的見地から考察を続けなければ成りません。
プラトンは「美であるところのもの」は 本質学的超越論的研究によって、解明されるものである。(美)と言う。
知識が無ければ、暗中模索になってしまう。試行錯誤の成果を実のあるためにするには 広範囲で多量の知識の収穫がなければならないだろう。まずは 手当たり次第に論理的に学び 模索するしかない。そして実際、絵画作品として、技術や様式表現を試しながら、失敗を繰り返しながら、探索して行かなくてはならないのです。
システム理論による「目的による統御」を成し得るには
@ 四次元空間の 概念
A 概念が要求する哲学的帰結を考え抜く事「概念のみが知識の一般性を産み
出すことが出来る。という事から探索することなのでしょう。
